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まぼろしのスーパーマリオ

任天堂の名作スーパーマリオブラザースは、
発売してからもう35年以上経つという。

それと同じ35年前の秋、私は大学の就職課の求人一覧を眺めていた。その頃の就職活動と言えば、夏が過ぎて涼しくなってからやるモノだった。

しかも涼しい秋といっていっても、三回生じゃなく四回生だ。今の人たちから見れば、この時点ですでに落伍者だろう(笑)
だが周りだってそんなもんだった。
特に美大などに通うと決めた時点で、落伍者とまでは言わないまでも「社会の枠から外れた奴」扱いを受けていた。それんな時代でもあった。

実際うちの親父なぞは、息子の卒業後の就職先は看板屋しかないと固く信じていた。

そんな涼しい…と言うよりすでに少々寒い時期に、張り出されていた求人一覧には、きら星のごとき大企業から名も無き下町の工場まで、様々な企業が並んでいた。

その中のひとつに任天堂もあった。
しかし、その25年前の任天堂はきら星のひとつではなかった。爆発的にマリオは売れていたけど、世間の印象は、花札とトランプのメーカー、しかもマリオが売れて初めて知った…的な認識だった。


私はちょっと面白そうだなと気にはなっていて、何だか先は分からないけどキラッと光る未知の面白さは感じていた…もちろん現在のような巨大なゲーム市場なんてのは想像もしていなかった。そしてそれは、その時代の人々のほぼ共通認識だった…
と思う。
ある一部の人々を除いては…なのだが。

ただ私個人の思いとして、
就職先としての任天堂を想像した時一番のネックとなったのは、美大まで出て、あのドット絵を描くのかぁ…だったのである。

今も、初期のマリオシリーズで遊べるのでご存知の方も多いだろうが、あの頃のゲームのグラフィックと言えば、

まあ…あんなもんだった。

もちろんパッケージデザインやら、ゲーム全体の制作やらあったのだろうけど、どうしてもあのドット絵が引っかかったのだ。
今は逆にあのドット絵に味がある…などと評価されていたりもするのだけど。まあ有り体に言えば、タダの貧弱なグラフィックだった。

社会から外れた奴といわれてアウトローぶったり、オレは違うんだぜ的な気持ちは持っていたけれど、結局は、美大出のプライドみたいなものにしがみつきたかったのかも知れない。

世の中の見方だって斜に構えているようで、実際のところ世間一般の視線でしか、見えてなかったのだ。
つまり、コンピューターゲームだといっても所詮は子供のおもちゃ。クリエイティブとしての天井は見えてる…という表面的な知見だ。

そんなチキン野郎だから…
任天堂についての認識も、仕事内容もさることながら…なんか新進企業だなあ、いや創業は古いみたいだぞ、それより、運を天に任すなんて企業はどうなんだ?

…などというマイナスイメージが増殖して、結局エントリーすらしなかった。キラッと光る未知の世界を、ある一部の人々になる事も、自分で永遠に閉じてしまっていたのだ。


過去について「たら」「れば」を言い出したら、きりがないから考えないようにしているのだけど、もし就職できていれば…
ひょっとしたら自分のグラフィックが世界中に展開していたかもしれない。そんな可能性を自ら摘み取っていたのだ。

「チキン野郎」なんて言葉を使ってまで、若い人をけしかけている訳じゃないけれど、たった一点しかない、しかも「そんな気がする」だけ…という可能性にかけるという「男前な行動」を人生の岐路でするのもいいんじゃないかと思う。

そんな「男前な行動」をできなかった人が語ると、全く説得力がないのだけれど。。

ただ、いま就活中の人に言うならば…
職探しというのは大した事だし、中々内定が取れず、追い詰められる感覚も分からなくもない。
だけどそれは、単純な思い込みや、すり込まれた情報の枠内で追い込まれているだけかもしれない。
ひょっとしたら、今も皆が振り向かない所に、未来の光が差しているかもしれない。


そして、
どこ行っても、何をしても、
自分の人生の収支は自分の意志で決まるのだ
だから、人の意見やメディアを参考にしても
決してそれだけを信じちゃいけない…

なんか今日はええ事言うた感満載になった
けど、そう言う事です。



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