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デザイナーの勉強会は必要か?

勤務先のチーム内で半年続けていた、
デザイナーのための勉強会を
止めることにした。

上からやってくれとか頼まれた訳でもなく、
個人的に始めたので、止めるにあたって
何のしがらみもない。
ただ、潮時かなと思ったので
止めることにしたのだ。

ネタが尽きた訳じゃない。
ネタなぞ、noteに書くほどあるのだ(笑)
受講者、つまりチームのメンバー
(といっても二人だけ)の
反応の薄さが主たる原因だ。

客(金を払ってくれてる訳じゃないけど)
にケチつける演者は、ロクな奴じゃない
そんなことは分かっている。
しかしこちらが話し中に、
そわそわと周囲を気にしている様では
こちらの意図が伝わってるかどうか…
だから止めることにした。

大事な時間を削って、あまりプラスに
ならないことに費やすのは、
双方にとって不幸でしかない。
こう見えても私だって暇じゃないのだ。

この勉強会を始めたのも、
個人的な動機がきっかけだった。
最近年齢のせいかどうか、どうもここ数年
何かを誰かに伝えなくては…とよく思う。

それは大げさに言えば、もっと生物的な、
子孫を残さねば…的な衝動に
近いんじゃないかと思う。
その衝動はどうも多くの人にあるらしく、
同年代の人々が同じ事を思ってるようだ。
ツイッター上で流行している
サロンもそれが根底にあると睨んでいる。

ともかくそんな想いも混ざった
私設の社内勉強会だったので、
テキストも自分で起こしてみた。
その内容と言えば、できるだけ実践に沿って、
デザイナーが身につけるべき能力を
コンパクトにまとめたつもりだ。

分かりやすいと思うんだけどなあ…

そんな終えてしまった勉強会なのだけど、
ちょっとのどに魚の骨が引っかかったような、
何となく落ち着かない一件がある。

勉強会の最中に、
そわそわとしていた一人のスタッフ。
一回だけならまだしも、毎回落ち着かない。

本来なら注意を促すのかもしれないけれど、
私はそれをしなかった。
なぜなら、
「この状況を注意し、こちらを向かせる事」
…これは、社会で行う教育の一環だろうか?
ここに疑問があるのだ。

決して偉そうに言うわけではないのだけど、
彼女にとって、勉強会の内容は必要だと
「私」は思う。

しかし、彼女は集中して聞いていない。
ということは、
今のこの時間は必要でない時間なのか?
聞く意思があれば、集中するだろう。
だがそうではない。

じゃあ無駄だ。止めよう。

私は、冷たいのだろうか?
一言こっちに集中せよと
言えばいいのだろうか?

しかしそれは、
せめて高校生までじゃないかと思うのだ。
相手は社会へ出て、
仕事をし給与をもらっている一人前だ。

必要な事には、集中するのが当然だ。
だから、そんな注意こそ逆に失礼だ。
…と私は思う。

これは数年前の話です。
その時は、どうなんだろう?と思ったが
時が経ち今となっては、
需要と供給の問題だったのねと考えている。
どちらかと言うと、テクニックよりも
マインドよりの内容だったので、
彼女らのニーズに合わなかったのだ。
つまり需要がないことを私はしていたのだ
…と。

その後彼女らがどうなっているか、
私は知らない。
デザイナーをやっているのかどうかすら
知らない。
ただもしやっているならば、以前した話を
ちょっとでも思い出してくれてたら嬉しい。
多分ちょっとくらいは役立つはずだから…


あぁ、そういえば残されたテキスト
…使い方はないのか?
(だから需要がないんだって笑)

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