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聞こえないからできること

世の中の人は特に日本では
聞こえない人は話せないと思われている

車椅子に乗っている人がみんな歩けない人
そんな感覚のように・・・
ちょっとだけ歩ける人も
実は車椅子に乗っているんだよ

幼少期に世の中に出たら話せた方が絶対にいい
手話を覚えてもいいけれど話すことは止めるな
手話に興味を持った頃そう言われて育った

記憶のインプットには
視覚効果、聴覚効果、
そして脳機能がもたらすものが関係する

聞くことが欠陥しているワタシは
視ることに長けるようになってしまった

ワタシは聞こえない人で
視覚情報しかないから
それをフルに活用しようとする

健聴者は視覚情報も聴覚情報も
「否応なしに入ってくる」

情報というのは
脳が勝手に取捨選択する部分があって
見えているはずの情報も見えてないように
「勝手に」脳が処理することがある
(これは脳科学的に証明されてる事実)

なので、入ってくる情報の多い健聴者は
ワタシに比べて視覚情報を
かなり削っていると思われる

たとえば、
100の視覚情報と100の聴覚情報がある場合
8割の認識だとすると

ワタシが80の視覚情報を活用できるのに対して
聞こえる人は40しか活用出来ていないということ

そこに「文字だけの世界」のチャットでは
齟齬が生まれる原因があると見ている
オープンチャットでよくあるある

8割の認識というか
80までしか情報処理出来ない
100+100=200の情報のうち
40+40=80しか処理できない

逆に視覚障害者は音だけの世界だから
視えるワタシ達が
聴き逃してる音を拾って生きてる


聞こえないとか見えないとかアメリカとか
そういうのは関係ないと
ワタシは思ってるというか
欠点がなかったらじゃあできるの?って
いつもジレンマを感じる
フェアじゃないなぁって

補うのはいいけど
まず努力もしようよって思う

もしワタシが
聞こえないからいいやってなってたら
もっとわからないままだ
この辺りがワタシの「勉強熱心」と思われるところだ
そう言ってくれた人がいた

ワタシは視覚情報の80を見せ続ければいいだけで
「ここにこう書いてあるよ」と伝えるだけで

伝えられた人は「あ!そこにあったか!」と
40オーバー部分の指摘を得られて
ラッキーと思えたらいい

「見たらわかる」のレベルが違う

数字にすると
ワタシの視力は5.0くらいだとしたら
健聴者は1.0とか0.7とかになるみたいな感じで・・・。


どうしても「聞こえてる人」には
視覚情報だけに集中することは無理
そこは
努力ではカバーできない部分もある=脳が勝手に取捨選択するから

だからどう頑張ってもワタシの80には届かなくて
60まで頑張ったとしても
さらにその上の20の部分を指摘されると
困惑してしまうでしょう
そしてそれは「私の能力の無さゆえ」と卑下してしまう

実はそうではなくて
ワタシは10個の目で見てるのと同じで
2個の目しか持たない健聴者にはどんなに努力しても到底追い付かない

10個の目を持ってる人に言われても「レベル違いすぎて無理」ってなる

障害は飾り物でもない
聞こえないことに縛られることなく
ワタシがワタシらしく生きる権利がある
そ希望を持って選んだ道

朝夕混雑する駅は恐怖の毎日で
聞こえないから後ろから話しかけられてもわからない
時に突き飛ばしてくる人がいる
悲しいけれどこれが現実

読み違えていると言われた時に
国語力が高い人に聞いてみると間違えてないことがほとんど
間違えていたらそこで教えてもらう

文字だけのやり取りで誤解が生きじた時
感情が出ていないか立ち止まって
冷静になれる人は対話ができる

文字だけのコミュニケーションって
感情や表情が見えない分センサーが働くけれど
いろんな人に出会い
聞こえない数ある中からでも
ワタシはスペシャル(自分でいう 笑)

ワタシには素晴らしい才能がある
国語力が薄いと言われる聴覚障害
うるさいくらい躾けてくれた周りの大人たちに感謝だ

できないことなんてちょっとした工夫でできる
変わらない環境でどう身を処していくか
今の環境で地上天国をうまいこと作っていこう

around50のおいちゃんからもらったギフトワード

ワタシは毎日がチャレンジの中にいる

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