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<本白蝶貝釦 – 神秘的で魅惑の輝き『Mother of Pearl Shell』>

コラムVOL.07

デッコーロウォモのシャツには、本白蝶貝/本黒蝶貝/本茶蝶貝の釦を使用しています。
今回のVOL.7では、そのデッコーロウォモの貝ボタンの特徴や作り方、その他貝ボタンの種類、日本の貝ボタンの歴史を解説していきましょう。

エレガントな魅惑の輝き『White Mother of Pearl Shell - 本白蝶貝』

白蝶貝は、南洋真珠の生産地に同じく、主にオーストラリアやインドネシア、ベトナム、フィリピン、タヒチ、フィジーなどで採れる素材で、貝ボタンに用いられる中で最高級品として重宝されています。日本では、奈良県の磯城郡川西町が貝ボタン製造地として有名ですが、貝自体を養殖しているのではなく、上記各国から輸入してボタンに加工しています。

白蝶貝は、『深みのある光沢、滑らかで上品な質感は他に類を見ない素晴らしさ。』エレガントな雰囲気を醸し出す魅惑の素材です。

そのため古くからROLEXなどの高級時計の文字盤や高級宝飾品に利用され、宝石と同じく大切にされています。衣服では、もともとクラシコイタリアの極上ハンドメイドシャツなど、ほんの一部の高級品にしか採用されていないボタンです。

貝ボタンは生きた動物から作られています。白蝶貝の種類は1つですが、それぞれの貝の年齢、育ってきた産地や環境によって、最終的な仕上がりに違いが出てきます。それによって、透明感のある白いものからナチュラルな黄色味がかったものまで様々あり、製造工程の違いや厚みによっても見え方が変わってくるので、一概にこれが『白蝶貝釦』と見分けるのは難しいかもしれません。(しかし、他の種類の貝を並べて見比べると一目瞭然。白蝶貝釦は圧倒的な輝きがあるので誰でもわかりますよ。)

本白蝶貝に似寄りの貝ボタンとそれぞれの特徴

白蝶貝とよく間違われる?様々な貝ボタンがあります。高瀬貝・広瀬貝・リバーシェル(どぶ貝)など。。

・高瀬貝

古くから貝ボタンの素材として使われている白色系の美しい巻貝で、現在でも既製服に使用されている貝ボタンの多くがこの高瀬貝です。虹色の輝き、耐朽性、価格のバランスがとても良く、高瀬貝釦の値段は白蝶貝釦の1/3〜1/4とお手頃な事から、貝ボタンの中で一番使用されているボタンです。

・広瀬貝

広瀬貝は、沿岸に生息する手のひらサイズの小さな巻貝で、高瀬貝によく似た白系のまばゆい輝きを放ちます。貝が小さいので釦にすると小ぶりで薄めになりますが、安価なため使用用途の幅が広い素材で重宝されています。

・リバーシェル(どぶ貝)

名前の通りリバー(河)で採れる淡水貝です。貝ボタンの中で最も白い素材ですが、白く輝きがあるのではなく、深みの無いプラスティックのような白さが特徴です。よくアロハシャツや、カジュアルシャツに多く使われています。

白い貝ボタンは、このように様々な種類があり、それらの特徴や希少性が異なります。どのボタンを使用するかは、ブランドコンセプトや製品デザインによってデザイナーの好みの話になりますので、何が正しい。何が良い。という問題ではありません。違う貝と誤解されるお客様も時々いらっしゃいますので、希望するボタンを見分ける参考にしていただけたら幸いです。

神秘的で魅惑の輝き『Black Mother of Pearl Shell - 本黒蝶貝』

decollouomo 濃色生地のシャツには、本黒蝶貝の釦を使用しています。
黒蝶貝は、世界的に人気のある大粒の南洋黒真珠の母貝として有名で、高級工芸品や装飾品として使われています。基本的には深みのあるシルバーブラック系に見えますが、光の加減によって、その漆黒の面に七色の虹のような光りがほのかに見えて、何とも云えない高貴な美しさがあります。

その神秘的で眩い輝きは、この黒蝶貝からできる黒真珠が放つという『孔雀の羽 – ピーコックカラー』といわれる独特で多彩な色味で、品格のある男らしい存在感です。

色彩的に暖かみのある輝き『Brown Mother of Pearl Shell - 本茶蝶貝』

decollouomo 濃色生地のシャツには、本茶蝶貝の釦を使用しています。
茶蝶貝はマベ真珠として有名な、熱帯~亜熱帯に生息する真珠の母貝で、高級工芸品や装飾品として使われています。基本的には深みのあるブロンズ系に見えますが、光の加減によって、グリーンやピンクなど虹のような光りがほのかに見えて、何とも云えない高貴な美しさがあります。

黒蝶貝に比べて色彩的に温かみがあり、明るく自然な風合い。茶蝶貝ボタンは特にホワイト系やネイビーカラーのニット生地との相性が抜群に良く、優しいナチュラルなイメージになります。

日本の貝ボタンの歴史

『白蝶貝』が、高級釦の素材としてヨーロッパで使われ始めたのは19〜20世紀初頭頃。当時、世界中の白蝶貝は西オーストラリア沿岸で採取されたものを使用していました。実は、その採取のために潜水夫をしていたのは日本人。最盛期の明治18年には、5,000人以上の日本人が出稼ぎでオーストラリアにいたと言われ、他国の潜水夫に比べて何倍もの水揚げ量を誇り有名だったそうです。

その後、第一次世界大戦が始まると、高価な白蝶貝の需要が急落してしまいます。職を失った他国の潜水夫たちは帰国を余儀なくされるのですが、日本では戦争のためにボタンの原料が不足していたことにより、白蝶貝より安価な『高瀬貝』に需要が移り変わり、1916〜1919年にかけて約4,000トンもの高瀬貝を日本に輸出しました。

明治20年頃、ドイツ人の技術指導により貝ボタンの製造が神戸で始まり、明治30年に大阪へ、その後、和歌山や奈良に伝わりました。それまではオーストラリアからボタン完成品として輸入していましたが、貝を輸入すれば自国でボタンを製造できるようになったのです。奈良へ本格的に伝わったのは明治38年頃。製造機械を積極的に購入するなど製造工程も飛躍し、全国1番の生産量を誇るようになりました。

第二次世界大戦前になると、ボタン産業は貝ボタンを中心とする天然素材を主力に展開するようにまでなりました。しかし、戦後間もなく近代的なポリエステルボタンなど合成樹脂素材が、その加工技術によって多彩な展開がはかられたことにより、貝ボタンからポリエステルボタンへと需要が大きく移り変わってしまいます。

合成樹脂素材の広がりによって影を潜めてしまった貝ボタンですが、環境に優しい素材、手作りからなる独特の風合い、そして、何よりもその神秘的で魅惑の輝きは、決して無くなることなくオシャレな高級ボタンとして現代でも根強い人気を誇っています。


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