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母にかけられたリフレーミングという名の魔法


私は宿題が大嫌いであった。机に向かって宿題をやるという行為は苦痛以外の何者でもなかった。
特に夏休みや冬休みの宿題が最悪だった。(私の学校は春休みに宿題がなかったので、春休みは大好きだ)
小・中・高と長期休暇の宿題を全部やったことは自慢でないが、本当に自慢ではないが0回だ。
「宿題やらないなんて勇気あるね〜」と同級生に揶揄われていたが、私は小心者で、先生から怒られることを良しとはしていなかった。
やりたくない、でも怒られたくない、だから私はよく足掻いた。
ドリル的な課題は最初の数ページと途中の数ページだけをやった。残り9割は白紙である。そしてその後に各ページを目一杯開き、折り目をつけて、ドリルの経年劣化を人工的に再現した。
これをやらなければドリルの見た目でやっていないことが明らかだからだ。
特に文字が書かれているページはしっかりと折り目をつけ、最初に開かれるようにした。
更にモノによってはやっていない白紙のページをごく僅かに糊付けし、パラパラめくりでは開かれないようにした。
何故こんなことをしたのかというと、教師によってはドリルの表紙にある名前だけを見て提出チェックし、中身がほぼ白くても気付かれないケースがあるからだ。

この“葉隠の術“(使い方合っているのか?)の成功率は10%も無かった。ほぼ失敗する。
しかも失敗した時のリスクがでかい。「お前は大人を馬鹿にしているのか」と普通に宿題やらないよりも何倍も怒られる。
同じく宿題をやってこなかった同志が単なる叱責で先生からの説教を終える中、私の説教は相当長かった。
それに対して私は不服だった。
「あの人より数ページとは言え、私は宿題をやっていますし、やる意思はあったんです。あの人の方がどう考えても悪質なのに、何故私の方が怒られるのでしょうか?」
と口答えもしたので、更に火に油を注ぐ結果となった。

日本の司法制度では罪を犯した際の“計画性“というのが非常に重視される。
計画的犯行だったか否かで罪の重さがまるで変わってしまう。
宿題を全くやらなかった子は計画性が無いと判断され、私は計画性があると判断されてしまったが故に、先生の怒りを買ってしまったのだ。
でも当時の私には納得ができなかった。
そもそも、私は既に宿題をやらないことで学習の機会を失うという罰・やらないという罪悪感を抱く罰を受けているのに、これ以上怒られる必要はあるのか?と思ったからだ。
私からすると、宿題をやらないということは既に苦しみであり、罰を受けている。
夏休みが30日間であるなら、30日間ずっと「宿題をやらない」と言う罪悪感の十字架に張り付けられている状態なのだ。
この苦しみは7月中に宿題を終わらせてしまう人には決してわからないだろう。
一方、宿題を平気でやってこない同級生の場合はどうだろうか?
30日間、楽しい夏休み生活を送った挙句、宿題をやるよりは明らかに短い時間の叱責で罪を償ったことにされている。おかしいではないか。

以上のロジックを中学生ながらに必死に教師にプレゼンし、「どう考えてもアイツの方が悪いと思います!」と文章を締めた。
私は言ってやったぜ!と思った。
これで先生は「確かに!沢口の言う通りだ。もう今日は帰って良いぞ」と納得するに違いないと思っていた。
しかし現実はスカッとジャパンのようにはいかなかった。
「言い訳するんじゃない」「屁理屈を言うんじゃない」と私の話は一蹴されてしまい、最終的には親まで呼び出されてしまった。

子ども心に親が教師から怒られていることに対して、胸が苦しくなった。
別室で親が一体何を言われているのか?悶々として私は廊下で項垂れていた。
説教時間はとっくに半日を過ぎていた。午前中からずっと怒られており、(給食は食べたがそれ以外はずっと説教されていた)同級生はみんなとっくに下校していた。
こんなに時間をロスする想定ではなかった。早く家に帰ってTVが観たかった。
下手すると帰宅後も親から怒られてそれどころではないんじゃないか?とすっかり意気消沈していた。
別室からようやく親が出てきた。予想に反し、母の表情は意外とケロリとしていた。
実は親が学校に呼び出されたのはこれが初めてではない。
今まで何度も呼び出されており、その度に母はこう言ったのだ。「あんた、これ以上私に恥をかかせないで」と。(ごもっともである)

その日の母は車に乗って早々ヒステリーを起こすことはなかった。
少しの沈黙の後、母はポツリとこう言ったのだ。
「あんた、賢いんだね」 と。
母曰く、先生から散々私のことを悪く言われ、辟易としていたそうだ。
しかし先生は最後に母に向かってこう言ったらしい
「御宅のお子さんは抜群に賢いです。」と。
大人でも舌を巻くような言い訳をする、普通はあんなこと思いつかないし、それをあれほど堂々と主張できる子は滅多にいません。だからこそ、悪いことに使って欲しくない、と。
怒られているのか、ベタ褒めされているのか区別がつかなかい程、何度も「賢い」と言われ、母はすっかりその気になったらしい。
その日の夕食は私の好物である“ザンギ“が振る舞われた。

私は当時、親や先生から怒られこそすれ、褒められるということがほぼ無かったので、この奇妙な体験は今でも覚えているのだ。
当時は「親からはせめて怒られずに済んでラッキー」としか思っていなかったが、この先生の「賢い」発言は今から思うとまさにリフレーミングであった。
この言葉により、私は「ダメな子(クソガキ)」から「賢い子」になったのだ。
実際のところ、私が賢かったかどうかは今となってはどうでも良いし、正直、賢かったかどうかはわからない。
賢いと褒められたのは後にも先にもその1回限りだったし、もしかするとあまりに私のことを悪く言い過ぎた先生が、気まずくなって母におべんちゃらを言っただけかもしれない。
でも、そんな真実はどうだって良いのだ。
事実として、「御宅のお子さんは抜群に賢いです。」と言う先生の言葉は、その後も母の支えになった。
真実よりも大事なのは事実だ。

私はしょっちゅう怒られるようなことをする子どもだったし、怒られても素直に受け入れず、必ず言い訳をする子どもだった。(怒られるのが本当に嫌いだったから、大人が言い返せない程の言い訳をすれば許してもらえると本気で考えていたからだ)
私を育てるのは大変だったに違いない。
宿題やらない、忘れ物しまくる、授業サボる、授業中寝る、多動、不登校、問題を挙げるとキリがない。
その後も色んなトラブルを起こしたが、その度に母は「この子は賢いんだ」と思うことで乗り切れたのだという。
未だに実家に帰ると母から言われるのだ。「あんたは賢い子だって先生が言うてたからねぇ」と。
それを言った先生の顔も名前も私はもう覚えていないし、一体いつまで先生の発言を擦り続けるんだ?と思わないでもないが、母にとってはそれほど魔法の一言だったのだ。
言葉は無料で紡げるプレゼントだと思う。そして、経験劣化するどころか、モノによっては輝きを増すことさえある、まさに魔法なのだ。
二十年近く前に母にかけられた魔法は、今も解けることはなく、母の支えになっている。

<余談>
結局、私は宿題をやらない以外にも問題を起こし過ぎてしまい、当時所属していた部活動をクビ(強制退部)になってしまった。
うちの中学は部活動強制参加だったため、私は図らずも帰宅部キャプテンでエース、且つ創設者になってしまったのだった。


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