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釣り人語源考 魚唐(たこし)ってなに?

倭名類聚抄わみょうるいじゅしょう』(931年 源順)の魚名に、かなりあっさりとした記述の項目がある。

〈魚唐〉 唐韻云[音唐漢語抄云〈魚唐〉魚子太古之]魚名也

二十巻本倭名類聚抄

「〈魚唐〉 『唐韻』に云う。[音読みは”唐トウ”、『漢語抄』に云う、”〈魚唐〉は魚子なり”。太古之たこし。]魚名なり。」

「たこし」という魚がいて、漢字で「魚編に唐」と書く。魚名です。

しかしタコシという魚は、後世では全く分からなくなってしまっている。
倭名類聚抄を研究した狩谷棭斎かりやえきさいは、『箋注倭名類聚抄せんちゅうわみょうるいじゅしょう』でも「未詳である。」と記す。
他の本草学者や考証学者に、このタコシを記述した例は調べる限り全く無く、手がかりとなる資料が存在しなくて、語源はおろか魚の比定ですら絶望的だ。
江戸時代から現在に至るまで、タコシを比定した学者は誰もいないし、漢字すらない。

しかし我々釣り人ならば、学者たちには分からない魚でもすぐに分かる。
タコシは「メジナ・グレ」の古名だろう。


「メジナ・グレ」は、磯フカセ釣りでのスーパースターだ。
スーパースターの地位を築いた要因は、その「海藻食」に起因する。
まずは生息域が、海藻のよく生える浅い沿岸である。
しかもよく潮流が流れ、複雑に変化する場所ほど海藻がよく生える。
だから深い海底や沖合の沈み根まで船で出かけて釣るのではなく、太陽光がよく当たり、潮流が変化して養分が溜まりやすい、小島の岬や沖磯の断崖がポイントとなる。
おかっぱりのフカセが成立するから人気なのだ。

大人気のグレフカセ釣り

次に海藻食の魚の特徴からの要因だ。
フィッシュイーターなど肉食魚は、素早く動く小魚を、「波動」や「音」や「動き」によって瞬時に判断して食ってくる。
またはエサを「匂い」で判断する肉食魚は、ゆっくり泳ぎ回ってエサをかぎ分ける。
しかし「メジナ・グレ」は「視力」によってエサを判断する。
美味しそうな海藻やマキエに寄って来るが、少しでも不自然なものは警戒して食べない。これが難しい。
食いがたてば襲ってくる肉食魚と違い、常に警戒している魚を釣るために、釣り人はラインにこだわり鉤にこだわり、自然にエサが漂うようにウキを選択しガン玉を調整して潮流や風の方向や強さを計算し、マキエを工夫しサシエを選択していく。
奥深くて釣りの腕前が上がれば、必ず結果が見えてくるのも人気の秘密だ。
努力が裏切らないのがメジナ・グレのフカセ釣り。

また海藻食の魚は毎日のように海藻を食べるわけだが、群れで広範囲に回遊してある程度まで育った海藻を食べることで、海藻の全滅を回避して毎年のエサを確保している。
ということなので魚体は「マラソンランナーが相撲取りの身体をしている」状態だ。
合わせた瞬間から始まる鋭いツッコミをなんとかかわしても、寄せるたびに出される驚異的なハシリ。
我慢に我慢でようやく岸によせてきたときが一番の危険タイムだ。
驚異の粘りでキワにツッコまれ、根に擦られると一巻の終わり。
また長いファイトによって、海藻を食べるためにノコギリ状になった櫛歯でハリスがやられ、プチっとやられるのも瀬際の攻防の時だ。
釣り人はすこしでも有利となるために、長尺で非常に柔らかいが粘る超高級磯竿、レバーブレーキ搭載最新リールを装備するため、諭吉を魔界に捧げている。

激闘のファイター

「メジナ」は標準和名となっているが、東京・神奈川付近の地方名である。
「めぢな」と書くのでおそらく「か・」という命名だろう。
確かに眼は顔の前のほうにあって、海藻をよく観察できそうだ。

「グレ」は関西から瀬戸内海にかけての名前だ。
釣り界隈ではグレの方がメジャーで多く使われている感じ。竿の名前やらマキエの商品名は100%「グレ○○」となっている。

そのほかの地方名として「クロ」が付く名前が日本海から長崎を通って鹿児島まで分布する。
島根県の「クロアイ」や「クロヤ」は「黒いアイゴ」という意味でちょっと特殊だが、他は「クロイオ」や「クロダイ」かその変形だ。

北陸から北の地方では「ツカヤ」やその訛りの名前がある。
『毛吹き草』(正保2年 1645年 松江重頼)に、「若狭に魚名ツカヤ、鮒に似ている」と記述がある。
このツカヤとは、北陸でサケの網漁が行われていた時代に「サケが網に入ってくる季節が来るまえに、海が荒れた日に大量に獲れる。そのため”サケノイオノツカエダイ”と命名された。」と伝わっている。
「鮭の魚の使い鯛」として、サケが獲れる前兆として喜ばれた。
「ツカエダイ」や「チカイダイ」として現代にも地方名が残っている。

「クシロ」という名が静岡や伊豆に残っている。
これは「くしろ」という腕輪飾りのことだ。
腕につけるので「手」の枕詞となっている。
くしろ」の枕詞が出てくる、柿本人麻呂の和歌が万葉集に載っている。

くしろ着く 手節てふしざきに 今日もかも
大宮人の 玉藻たまも刈るらむ

万葉集(巻1・41)  

持統天皇が伊勢に行幸したとき、人麻呂は一緒に行きたかったが都で留守番だったので非常に悔しがって、「ああ、持統天皇の御一行は今日あたり手節てふし島(現代の答志島)かな~。宮殿のみんなは楽しく海藻でも刈っているかな~。」と想像している歌だ。未練大杉じゃろ。
この答志島でメジナがたくさん獲れたので「くしろ」という名前なんだろうと考察する。

「タカイオ」の系統の地方名は、高知や愛媛南部の四国太平洋側から大分・宮崎と分布している。
「タカイオ」「タカウオ」と広く呼ばれているが、所々「タコウオ」「タコ」「クロダコ」「コダコ」という名称が残っていて、タコとタカは同じ意味を持つ言葉である。

さて「たか」を調べてみると、「磯(いそ)」を意味する漁師言葉だとされる。
「タカベ」という魚の由来も「磯の周辺にいる」からとされている。
イワシやナヨシは群れでいる魚なので、「タコシ」とは「磯に群れている」という意味となる。
メジナの古名にピッタリだと思う。

ところで「グレ」の由来が気になるところだ。
「魚名になると濁音」の法則からすると、「くれ」という言葉が語源だろうと推測される。
そういえば「くれ」という地名がよく釣りに行く所にあったなあ・・・


広島県呉市の発展の歴史は、明治時代に安芸郡呉港が大日本帝国海軍の第2海軍区鎮守府に指定されたことから始まる。
それまでの大昔の呉は小さな漁村だったと思われる。
文献では平安時代に呉浦を開発したことが石清水八幡宮の寄進帳に残されている。また江戸時代に、宮原村の在郷市地域を呉町と呼ぶことを藩から認められた記録がある。

呉の夜景

呉の地形は賀茂台地の南端と瀬戸内海の倉橋島に挟まれた、海上交通の要所に位置する。
瀬戸内海の海運を重視した平清盛が、音戸の瀬戸を開通させ安芸国の海上交通を増大させた。
すると後の呉浦での造船業が盛んとなった。
山で切り出された丸太は川に集められ、「舟木」として川を流し、海の入り江に集積保存される。この皮のままの丸太を「くれ」という。

榑は樹皮が付いたままの丸太のこと

また呉の周辺は切り立った断崖に囲まれる。
灰ヶ峰山麓や二河渓、休山に囲まれ、花崗岩質の斜面は非常にもろく、芸予地震や西日本豪雨災害の時は土砂崩れが発生した。
近年よく話題にあげられる「災害地名」の「崩落・地すべり地名」に、「くれ」がある。
長野県のHPにある「地すべり地名の例」から抜き出してみると、「大崩・崩田・崩沢・白崩・崩畑・蛇崩・抜崩・黒石(くれいし)・榑山・榑田・久礼坂・暮畑・八栗」などが掲載されている。

「呉」はもともと小さな崩落地名として「くれ」と命名された地区が、だんだんと造船の浦として発展していくうちに「くれ」の集積場としてその地名を広めていったのだろう。
「くれ」は崩落によって出来た断崖の名称である。
「グレ」は「海の断崖にすむ魚」ということだろう。
もともと鹿児島南部や種子島で「クレイオ・クレウオ」という地方名が残されている。
他にも「コショウダイ」や「コロダイ」を三重県では「カイクレ」や「カイグレ」「クレ」「グレ」と呼んだり、沖縄では「クレー」、徳島では「カクレ」という。
また「ヤマメ」の地方名に「コクレ」がある。

山地がそのまま海にせり出した岬や半島に海流や波が当たり、土を削り岩を崩落させて、いつしか断崖絶壁を作り出す。
その地形を「たか」「たこ」「くれ」と呼んでいたのだろう。
そんな断崖の磯にすむ、強靭なスタミナを持つファイターと、それに挑む釣り人たち。
切り立った岩肌は、我々釣り人の孤高のフィールドだ。

荒海の海食崖



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