愛について その2?

※諸注意 これを書いてるのは30代半ばの毒男なんだすまない。

さて、先日SNSにて以下の通りやり取りをさせて頂きました。

(長くなってすまなんだな

P氏『人の数だけ正義がある。
これは真理だと思う。

やっぱり"正義"を語ってしまうと
どこまで行っても争いごとは
無くならないんだろうなぁ。

多くの人が"愛"というものの
本質を心から理解できれば、
世の中はもっと穏やかになるのかも。

かく言う自分も
まだまだ分かってないけれども。』

自分『狭義的に正義広義的には善の対比に悪があるからこそ、わかりやすく判別・判断しやすさがあるのかなと考えました。
正義に対しての愛という解決策、発想はなかったんですが、では愛の反対側にあるもんってなんでしょうかね。
パっと浮かんだのは"無関心"ですが...
(文字数+言葉が整理しきれて無く』

P氏『"ありがとう"の反対が"当たり前"
って話と似てる気もしますが、
"愛"の反対ってのは、究極的には
"ジャッジ"じゃないですかね。

"善悪"とか"良い悪い"とか、
そういうことを判断しない
というのがポイントかと。

重めの自戒を込めて(笑)』

自分『なるほど、良し悪しを判断しない"ジャッジ"の反対側に愛あり。
ふと、それって赤ちゃん(純粋無垢な存在)やなと。
赤ちゃんに対してしてあげる事(と書けばおこがましい?)、損得など感情無しに自然と判断・行動する事は"愛"かもですね。

私もまだまだ分かっちゃませんが、ありがとうございます』

要すると、愛の反対は善悪、感情などにより判断(ジャッジ)することで、つまるところ愛は善悪、感情、損得とか関係の無い判断。

これにはなんとなく”わかる”気がする。

※返信に書いている通り赤ちゃんに対する行為・行動のイメージ

一旦はそれで納得したんだけど、どうにもモヤモヤして、

何がモヤモヤするかというと判断無き行動はホンマに愛か?何も考えずに脳死で行動することはホンマに愛なのか?

なんですよ(めんどくさくてややこしいけど、もうしばしご辛抱

で、最近購入した本を開いてみると愛を哲学した?

エーリッヒ・フロムは次の通り言ってるらしい。

「愛することは技術である」

「愛は"落ちる"ものでなく"自ら踏み込む"ものである」

「愛とは特定の人間に対するものではなく世界全体に対する態度や性格の方向性である」

よーわからんが、要は技術で踏み込まないとダメで

「愛されたいなら愛せよ」みたいな感じやと思った。

個人的にはこちらの方がシックリきた感がある。

やっぱ人間やから判断もするし忖度もするし好き嫌いもある。

これもまた中庸なのかな・・とか思うけど、

なるべく「汝隣人を愛せよ」の精神で生きたいかなぁ。

つまり愛とは!?

わからんが、子どもに聞かれたら・・

たとえ何があっても守るし尽くすし信じるよ

僕の身に何が起ころうと みたいなニュアンスでしょうかね。


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