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発達障がいってさ。

こんばんは。今日も皆様、お疲れ様でした☕︎
気がつけば\こんな時間/

今日こそはマガジンを書き溜めるぞ!と
朝のコーヒータイムに意気込んでも、
結局こんな時間になってしまう日を
何度繰り返したことか•••

今日一日の疲労感と共に今こうして
せっせとキーボードをたたいています。

今日のテーマはズバリ。

発達障害ってさ です。

「発達障がい」という言葉との出会い


我が子が『発達障害』という言葉に出会ったのは
1歳児半検診の時でした。
「指差しが出来ない」我が子を見て、
慎重に言葉を選びながら話してくださる保健師さん
の姿を、今も鮮明に覚えています。

様子見で行きましょうと言われて
モヤモヤを残したまま帰路についたあの日から、
約1年半、「発達障害」について

調べ漁る日々でしたーー。
その1年半は、生きた心地がしないほど
インターネットの情報と我が子を重ねては
何とも言えない不安との戦いでした。

あれから月日が経ち、
長男に続いて次男の発達障害も分かり
(次男についてはまた別記事で更新しようかな。)
特性の違いや、種類、出るタイミング、
元々の性格なども踏まえた上で、全身全霊で
子供たちの障害と向き合ってきました。

今、わたしが3年半前の自分に言えること

それは、基礎知識以外は意味がないものだと
いうことです。

発達障害の因果関係も、環境因子や遺伝、
食事からくるものや栄養素など、
さまざまな見解が出ていると思います。

わたしはひたすら、
発達障害になった原因探しに翻弄されていました。

でも、その答えは1つも
見つけ出すことはできませんでした。

ただ、
息子たちに発達障害の診断が
おりたあの日から今日まで、
自分が発達障害かもしれない」という

思いは消えていません。
たぶん、一生消えないかなとも思っています。
それは、遺伝の要因も1つとして
実際インターネットには挙げられているからです。

科学的根拠も少しずつ解明されてきていて
詳しく細かく分析されているそうですが、
わたしはもう、答え探しをするのはやめました。

相変わらず自分を責めてしまう心の波に
嫌になる日もありますが。

普通に産んであげられなくてごめんね。」とーー。

でもだからって何にも変わらないんですよね。

私は私でしかなくて、
子供たちは子供たちには変わらない。

それは紛れもない事実です。


障害の特性の出方は
その人いりとりどりってこと


発達障害 で検索すると出てくるであろう画像。
発達障害の種類と色で分けられたもの。

初めて見た時と、
今こうして発達障害というものに実際に触れ、
そのお子を育児するうちに
この形に決まってしまっていることに対して、
違和感を覚えました。

確かに、こうして全部混ざりあっているのです。
特性と言うものを個々に交えているものなのです。

ただ、比率が違う。(笑)
混じりあう場所も大きさもぜんっぜん違います。
それも年齢と成長とともに。

うちのちびっ子boysは2人とも同じ、
知的障害ありの自閉症スペクトラムで診断が
おりていますが、少なくとも我が家は違うのです。

ってことで我が家の長男、
次男vr.を描いてみたのがこちら🔻

今、6歳と5歳のわんぱく盛りで
力も少し、強くなり始めています。

こうして︎▲の絵のように、2人とも
成長の度合いやスピード、凸凹の差の開き具合など、
細々した分析を除いても比率はこうも変わるのです。


成長と共に『比率』は変わっていきます。
環境の変化や負荷の度合い、気候、気圧の変化の弱さ、
繊細さ(HSP)など、その子の生まれ持った性格が
合わさればまた、比率は変わっていくんだろうなと
私は感じております。

※これはあくまでもわたし個人的な見解であり、
専門性や論文などの引用ではありません。


結論:発達障害ってさ

その人の脳の形の違い、神経伝達の異常などの
先天性なもの+性格が混じり合って、

にっちもさっちも行かない!
コントロールできない!
どうしたらいいかわからない!

こんがらがって解く方法が
わからないんだと思うんです。

『発達障害』のこの文字だけじゃ、
到底いい表されないものが
たくさん、たくさん
こんがらがっているんだと思うのです。


当事者にしか分からない、不透明なものが、
この世の唯一の「当たり前」なんじゃないでしょうか?

私はそう子供たちにも、自分にも自身にも
日々感じながら毎日を乗り越えています。

みんなそれぞれ違うことを認めあい、
支え合える環境知識が何よりも
必要なもののような気がします。


今日もここまでご拝読いただき、
ありがとうございました。

それではまた。

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