第十五話 十河信二のアメリカ視察

 十河信二は、太平洋の上をアメリカに向かっている。
 二等船室でぼんやりと海ばかり眺めていた。
 アメリカと、どう戦うか。
 どう戦えば、負けないのか。
 サンフランシスコまでの十三日間、この男は、そのことばかり考えていた。
 
 当時、日米関係は、決して芳しいものではなかった。双方の国民感情は、ささくれだっている。「ジャップ」「米公」などと互いに罵声を浴びせながら、太平洋越しに睨み合っていた。
 最大の火種は、移民問題である。
 明治政府は、国策として、積極的に海外移住を奨励した。
 国土は狭い。人口は多い。政府は、弱い。
政府そのものの安定維持に汲々としていて、産業を育てる余裕などまるでなかったからである。明治維新という社会の大変動が人々から職を奪い取り、満足に食べることのできない貧民たちが日本中にひしめいていた。彼らは移民となって、まずハワイに渡り、ついでフィリピン、さらに南米各地へと拡がっていく。

 アメリカ西海岸への移民は一八九〇年頃から増えはじめ、一九〇五年に日露戦争が終わると鰻上りに急増する。中国大陸からの大量の帰還兵たちが行き場を失って、海を渡ったからである。彼らは、数が増えるにしたがって、各地で白人たちと摩擦をおこした。
 理由は、さまざまにある。
 日本人は、不潔である。上半身裸で街を歩く。英語を覚えない。自分たちだけで閉鎖的な村社会を作る。貧しい生活に甘んじ、稼いだ金はせっせと母国に送金して、使わない。写真結婚などという野蛮な方法で男女が結びつく……などなど一々あげればキリがないほど悪口雑言された。

 写真結婚というのは、当時、西海岸で働いていた日本人移民の男たちにとって、ごく一般的な嫁取り方である。まず自分の写真を故郷に送る。親類、縁者、知人友人などの伝をたどって、適当な娘が選ばれる。娘はその写真一枚を握りしめて船に乗り、未知の大陸の港に着く。このとき初めて、生きて動いている自分の伴侶に出会う。これが、アメリカ人たちには、どうにもこうにも、理解できない。人間というまともな生物の行なうことに思えなかった。

 しかし、日本人が嫌われた最大の理由は、つまるところ、白人たちから働き口を奪ったからである。

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