第四話 偉大なる「よもくり」

 高瀬半哉の墓は、大町の大念寺だいねんじにある。
 西条高校から真っ直ぐ南に下って、旧道こんぴら道と交わるあたり一帯を「大町」というが、予讃線が開通する以前は、この大町が西条きっての繁華街であった。高瀬は賑やかな街道筋の古刹に間借りして、没するまで西中へ通い続けた。
 大念寺を訪ねてみた。しゃかしゃかと出てこられたのは、副住職の上原俊雄氏である。聞けば、西中の三十四回卒業生で、パン屋はんの教え子であった。その上原は、スト好きの西中生気質を「よもくり精神」と表現する。   「よもくる」は、伊予弁で「素直に言いなりにならず、屁理屈をつけて抵抗する」ことである。
 「西条人には、痩せても枯れても天下の徳川親藩三万石の城下町……というプライドがある。新居浜はもちろんのこと今治や宇和島とは格がちがうという意識が抜けない。何かにつけて、よもくり精神を発揮して、必要以上に胸を張りたがる。私らの時代も、屁ぬるい授業をやりよる先生には、あらゆる手段を使って抵抗しました」
 上原によれば、あまりに「よもくり精神」旺盛なるがゆえに、西条からは度量の大きな人物、親分肌の傑物が出にくいという。
 「十河先生は別格や」
 と、上原は笑った。

 十河信二が大町で下宿生活をはじめたのは、中学四年からである。
 「ノブを進学させてくだっしゃれ。学費はワシが工面する」
 兄の虎之助は、そう言い張って一歩も退かず、ついに父の鍋作が折れ、ならば近いほうが勉強もできよう……ということになった。

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