第十六話 十河信二と米国婦人たち

 コールフィールド女史が最初に紹介してくれたホームステイ先は、マシュー家という。
 主のウィリアム・D・マシューは、このとき、四十五歳。ニューヨーク自然誌博物館の古生物学部長。のちにカルフォルニア大学の古生物学主任教授。アメリカ古生物学界の重鎮として活躍した人物である。

 マシュー家は、ヘイスティング・オン・ハドソンという郊外の住宅地にあった。マンハッタンからハドソン河を三十キロほど遡った河岸の小さな街である。このハドソン川を見下ろす丘陵地のはずれに、この十年ほど前から、教師と学者のグループが移り住んで、「ロウカスト・ヒルズ」という名前のコミュニティが作られていた。ロウカストは、ニセアカシア。マシュー家の邸宅は、ニセアカシアの高木に囲われた、木造三階建てであった。
 まだ建てられて間もないようすで、ピカピカである。部屋数も多く、三階の南側には広いバルコニーがあって、間近にハドソン河の川面が眺められた。日本でいえば、かなりの豪邸といっていい。

 十河信二は、この森の中の洒落た三階建てのお屋敷に、マシュー一家の客人として数か月を暮らしている。
 毎日、主のW・マシューといっしょに汽車通いする。ハドソン河辺りを走るNYセントラル鉄道の汽車に乗って、マンハッタン中心部まで小一時間。W・マシューは市立博物館へ、十河信二はマジソン通りメトロポリタンビルヂング二十四階の鉄道院紐育ニューヨーク出張所へ通った。
 マシュー家の人々の暮らしぶりは、その贅沢な屋敷に不釣り合いなほど、質素であった。五人家族。夫妻と子供三人。朝食は、オートミールとコーヒーに決まっていた。三人の育ち盛りの子どもたちがいるにもかかわらず、夕食にも贅沢な惣菜は出ない。

 十河信二はご飯に砂糖をかけて食べるほどの甘党だが、マシュー家では、食後のコーヒーに砂糖がつかない。つい我慢できずに砂糖を所望すると、夫人にこう諭された。
 「戦場の兵士に少しでも多くいきわたるように、シュガーを節約しているのです。ご辛抱ください」
 「政府が統制しているのですか?」
 「いいえ。自主的に節約しています。ラジオで政府の高官が深刻な砂糖不足だ……とコメントしていましたから」
 ふーむ。
 アメリカの風鈴は、素直に感動した。アメリカ人は拝金主義者ばかりとは限らないらしい。少なくともこのマシュー夫人は、自らの贅沢を最優先する個人主義者ではなかった。
 古生物学者の亭主は、日曜日になると、教会にも行かずにライフル銃を担いでどこかに出かける。
 毎週、狩猟か。
 国が戦争中だというのに、贅沢なことよ……と、最初は思ったが、どうやら、そうではない。この街の河岸には、ドイツ系移民の多く働く化学工場があった。ドイツは、敵国である。正確に言えば、一九七一年の四月から敵国になった。あのドイツ人たちの工場ではマスタードガスが作られている……という噂さえ街ではしきりに囁かれていた。彼らが反乱を起こすおそれがあるにもかかわらず、この街に警察官はひとりしかいない。だから、四十歳以上の男たちが自発的に自警団を作ってパトロールしているという。
 立派な愛国心ではないか。
 十河信二の米国人観は、おおいにぐらついた。

ここから先は

4,838字

¥ 100