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21.11.10 変わるために必要な年月ってどれぐらい?【645日目/1000日】

人が変わるために必要な時間や年月ってどれぐらいなんだろう。その人の置かれている立場やその人の気質にも依るのだろけれど、少なくともオトナになってしまうとその可塑性はどんどん削がれていくのかもしれない。いや、可塑性があると思うこと自体が幻想なのかも、と去年のnoteを読み直して思っている。変化にも柔軟に対応していくことが出来るのも可塑性が高いということだろうから老化するって心身ともに柔らかさを失って固くなってしまうことなんだ。それはもう避けられないとしたら、そんな風にガッチガチになっていく自分をどう面白がっていくのかがこれからの私のテーマなのかもしれない。過去を嘆いていても誰かのせいにしても不毛で不快なだけだ。

2020→2021→2022年の自分へ

2021年の自分へ
2019年の占いで私は「人嫌いで一人でいる方がいい」と言われましたよね。ずっとそう思っていたことだったので占いが当たったというより「やっぱりな」という納得感の方が強かった事も、1年経った今もクリアに覚えています。今年は疫病の蔓延で人と会う機会は去年の私には想像もできなかったほど減りました。皆無と言ってもおかしくないほどです。真っ白なカレンダーはさすがにさみしいなと思うけれど、心の奥底ではちょっとほっとしている自分もいます。無理にアクティブにならなくてもいい呪縛から解放された気持ちもどこかにしっかりとあります。今年は人嫌いを満喫しようと思います(現在進行形)。さて、2021年の私はどうしているでしょうか。今年の反動で活動的になっているのか、それとも人嫌いに磨きがかかっているのか、どんな具合でしょうか?
2020年に返信
そっか、私は人嫌いだったんだな、とあの占いの結果をnoteを読んで思い出しました。去年からの家あたため生活はいまだに続いています。感染状態が落ち着いてきて楽観的な予測や学説(ウイルスは自壊したとかね)が溢れるようになってきました。信じたいものだけを信じて平静を保とうとする、本当にお子ちゃまな社会です。2020年に真っ白だったカレンダーは今年も同じです。でもいい意味で人間関係も断捨離できているようにも感じています。去年思っていた「無理にアクティブにならなくてもいい」状況は私にとって自分の出不精さを許してもらえる免罪符だったのでこれが無くなるのがちょっと怖い気もしています。そんなわけで人嫌いには磨きがかかっているように思います。

そして

2022年の自分へ
2021年の11月、疫病は少し鳴りを潜めた状態でこれをゴングに人も再び動き始めました。せっかく作った在宅ワークというシステムがあるのにこれを捨てて「元」に戻ろうとする会社もあってつくづく進歩や変化が嫌いな社会であることを痛感しています。溺れる人が必死に掴んでいるものが沈みゆくものだなんて洒落にもなりませんね。そんな具合なので私の気持ちにはいまだに晴れないままで、ここ一年で作ってきたルーティンにしがみついていますが私もこうやって沈んでいってしまうのでしょうかね。2022年の秋の私はどんな風に過ごせていますか。

今朝の朝活書写

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