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22.3.4 優しい言葉に距離を置きたくなる訳【760日目/1000日】

綺麗な言葉が怖い

SNS界隈を眺めていると「優しい」言葉をやたらに呟いたりRTしている人がいる。名言とは違う「綺麗な言葉」、これを見かける度に私は心がいつもザワついて変に気持ち悪くなっていた。

気持ち悪いし何となく怖いという不思議な気持ち。

全く批判を許さない、そして批判する方が心が汚れているように思わされるそんな言葉を気持ち悪く思ってしまう自分は本当に根っからの皮肉れ者なのだと思っていた。

でもこの感覚は自己防衛本能なのかもしれない。noteで下記の動画を見つけてそんな風に感じ始めている。


私の年代はオカルトものがすぐ近くにあった。TVではゴールデンタイムも日中もオカルト的なものが溢れていたし雑誌類もそんなものが溢れていた。この不思議なものに対して子供だった私は夢中で弟と一緒にこの手の本を読んではワクワク、ゾクゾクしてその世界を「楽しんで」いた。特にノストラダムスの予言は信じていて、この世界滅亡の日はどう起こり、その時の自分はどうなっているんだろう、万が一、生き残ってしまったらどうしようと、今思うと不思議な妄想をしたものだった。

でもその予言の年1999年には世界は滅亡しなかった。

そもそもこの予言は「1999年に世界滅亡しまっせ」とは書いていない。「1999年、7の月 空から恐怖の大王が降ってくる」
とあるだけだ。滅亡なんて書いてない。大王が降ってくるだけだ。当時この予言がこの一文だけなのだと知っていたらもしかしたらこの予言を信じなかったかもしれない。でも当時の雰囲気はそんなものはなかった(と記憶している)。この一文をTV等ではそれっぽい肩書きのついた偉い(私にはそう見えた)専門家が「解釈」していた。子供だった私は完全に信じこんで1999年の7月に世界は滅亡してしまうんだと思っていた。

でも世界は滅亡しなかった

1999年が近づく頃にはもう大人になっていた私はこの予言すら忘れていた。子供の頃は信じこんでいたのに日々の生活に必死ですっかり忘れていたのだ。大人になるまでにこの予言がたった一文だけで解釈次第でどうとでも「妄想」できるのだと気づいた瞬間から熱が覚めてしまっていたのだ。この予言話は友達との軽いネタ扱いまで降格した。この経験は私にたくさんの事を教えてくれている。

何事もネタ元を当たること。
解釈次第の言葉は信じられないこと。誘導に注意すること。
「みんな」が同じ方向に熱狂する時は一旦留まること。

この教訓は玉石混交のネット世界にはかなりの「盾」になっているようだ。

自己防衛として

そしてこの教訓とともに感じているのは心を揺さぶってくるものへの恐怖感だ。冒頭の綺麗な言葉は心を揺さぶってくる。この有無を言わせない感じの言葉は暴力的で私の心の自由を奪う。自由を何かに制限される事が本当に気持ちが悪い。私は小心者だし自分は「こうです」という軸があまりない。だからきっと洗脳的なものに触れたら結構簡単にそうなってしまうだろうと思う。そう思うからこそ、心を揺さぶってくるものがひたすら怖い。精神世界が〜なんて言葉を友達が言い始めた時点で関係を見直そうと思うぐらいに怖いのだ。でもこれぐらいでちょうどいいのだと上記の動画を見て確信した。

あと、実際に身近にマルチ商法に嵌ったり、困ったことがあると霊感商法的なものに近づいていく人たちがいてその影響もかなりある(実害もあったしい)。ハマりこんだ人たちの目も知っている。この話は忘れないようにまた今度残しておかなきゃな。

とにかくも綺麗なものには気をつけよう。「綺麗な薔薇には棘がある」っていうけれど言葉だって一緒なのかもしれない。

2021→2022→2023年の自分へ

2022年の自分へ
生活のあらゆる所が大雑把だし家もうまく片付けられないのに、人が使う言葉の一文字に敏感だなんて、やっぱり私はズレているのだと思います。こんな自分とよく付き合って来られたなとせめて自分だけは褒めてあげましょうかね、えらいえらい(無表情で)。きっとこの変な細かさはそのままだと思うので、2022年の今日あたりで気になった言葉遣いについて書いてみてください。
2021年に返信と2023年の自分へ
無意識でやってしまうことにこそ、その人の本音が詰まっているという思いは今年も変わらずに持っています。いや、この災禍でマスクを常用するようになって表情から察することが出来なくなって言葉の大切さに気づきました。そしていかに自分が「顔芸」で言葉で説明することをサボっていたことにも気づきました。そんな中、気になった言葉遣いは「法事が楽しい」です。私にとって疎遠になっている親戚に会えて故人の思い出語りができる機会は貴重な時間だったのでそう言ってしまったのですが、相手にとってはまだ故人への思いが残った辛い行事でした。想像力の無さと言葉の選び方の難しさを感じました。いつになったら上手になれるんでしょうかね、私は。さて、2023年も同じ問いかけをしておきますね。ここしばらくで気になった言葉遣いを書いてみてください。