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夜明け前5時


数ヶ月振りに外へ繋がるドアを開けると涼しく感じた午前5時。
いくら猛暑といえどもさすがに8月も終わりかけているからだろう。
前日の雨の影響もあって空は6割方どんよりした雲で覆われている。東の空は雲の合間から朝焼けが覗く。空が白んできた。
明るくなり始めようとしている街をいまだに照らす街灯がそろそろ場違いに感じられる頃、一見日暮れ前にもみえるこの瞬間、纏う空気を私は案外好きだ。

どれだけ都会に居たって、半分以上の人がいなくなってしまったよう。そう考えると少しだけ呼吸が楽になる。

徒歩20分の道程さえ遠く感じてしまう私にとっては世界はあまりにも広い。

禍福は糾える縄の如し、
この言葉を初めて聞いたときこれまでの過去の過ちを赦し、これからの困難を受け入れられる決意が出来た。が、その「禍福」が如何なるものであるかを判断することでさえ私というちっぽけな一人間の偏見だというのだから、人生とはひどく曖昧なものだ。

「それ、ダウナーじゃん」掛けられる言葉。
私は少々厭世的なのかもしれない。

しかし、この「厭世的」であることも、みる人によっては「楽観的」とも「悲観的」とも捉えられよう。

他人を羨ましく感じるのは、その人の良いところを見つけるのが得意だから。
対して自分が「劣っている」とか、「優れている」という二極的なものではない。そんな安直的な判断は思考を停止させるだけだ。
ただ、五感とそれに随う瞬間的な心の喜怒哀楽は大事にしたい。それが私という唯一無二の存在が保有する価値判断の最も純たる要素であると思うから。

今日はそういうことにしておこう。

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