「うるう」を観ました。

待ちに待ったこの時。
観たいと思い続けた日々。それがようやく叶いました。
…そして観終わって思いました。

この感想はTwitterの文字数じゃ無理。

なのでこちらに書くことに。
初投稿がうるうの感想だなんて素敵極まりないじゃないか。

【以下、ネタバレはしませんが先入観を持たぬよう、まだ「うるう」を観ていないという方は読まないでください】





まずもう世界観。
僕は過去の賢太郎さん作品はほぼ拝見していますし、絵本「うるうの森」を読んでいましたので概要は知っていました。
賢太郎さんが繰り広げる世界を頭の中で反芻し、「うるう」単体を表現するとしたら…と様々な想像を膨らませてきました。

うるうのDVDをプレイヤーに挿入し、始まった瞬間に
「なんという安心感」
と思いました。いや、実際口から出てました。

賢太郎さんがパフォーマーとしてのお仕事を辞め、賢太郎さんを取り巻く環境に様々なことがあり、ここ1年ほどはラーメンズや賢太郎さんの作品と真っ直ぐ向き合えない気がして観るのを控えていたというのが正直なところです。
そんな僕にとってこの「うるう」の視聴は個人的感覚で言うとかなり久しぶりの小林賢太郎作品。

うるうの冒頭シーンで「おかえり」と言われた気がしました。


舞台の上には賢太郎さんと青弦さんの2人だけ。
しかしそこに見えたのは、広い舞台を目いっぱい使い、身体の全てを駆使し、美しい音楽を隅々に響かせて、何人分だろうかというほどに鮮やかな世界。
かと思えばとても繊細な表情と指先まで意識が込められたその動きは、主人公・ヨイチの心の中にある様々な感情や苦しみ・悲しみ・寂しさを見事に表現していました。

「孤独」というものには幾つかの種類があると僕は思っています。
いやむしろ100人いれば100通りの孤独があるのかもしれません。
それでもヨイチという人物が抱える深い孤独を切り取ったこの作品には、全ての人がどこかに共通点を感じたのではないかと思っています。

手放す孤独、手放される孤独、残される孤独、残す孤独、受け入れるべき孤独、抵抗すべき孤独。
僕はありとあらゆる「孤独」と向き合いながらこの作品を観ていました。


もちろん、笑いの要素も十分です。
これまた安心感のあるというか、実家に帰ったような感じでした。
ふと"賢太郎さん"になる瞬間がとても好きです(笑)

賢太郎さんの笑いや作品は、賢太郎さんご本人が述べているようにかなり縛りのあるものだと思っています。
多くの「新人」とか「デビュー」とか「売れたい」という大枠に入る方達は、おそらく「これまで流行ったものをなぞる」か「これまで無かったものを創る」というところに重きを置いていると思いますが、賢太郎さんの作品の場合は「これまで存在していて且つ大多数の人が知っている・日常的に使っているものを駆使して新しいものをつくる」というもの。

「昔からあったものを使って無かったものをつくる」
字面からして二律背反な感じがします。
この難しさはもちろん僕なんぞの頭では想像力が不足しまくっていると思いますが、僕なりに思う難しさは「より多くの人をターゲットにするほど縛りがきつくなる」という点。
「多くの人に見てもらえれば一部の人にはウケるだろう」という目的であれば、さほど難しくはなさそうです。
でも賢太郎さんの作品においては「より多くの人に見てもらって、その全ての人に内容がきちんと伝わる」ことを絶対条件としています。

国が違う、文化が違う、言葉が違う、笑いのツボが違う。
それら全ての人が可能な限り同じところで笑う作品。
なんという無理難題。宿題だったら学校をボイコットします。
それを成し遂げられることを賢太郎さんは実際に「P+」で証明したわけですが…頭がおかしい(褒めてる)。

話が逸れました。
「うるう」という作品には、先に述べたようなありとあらゆる魅力がたくさん詰まっています。
観終わった後、過去の作品を観た時とも絵本を読んだ時とも違う感情が湧きました。
僕は割と何かを観た後、色々と思いに耽ったり自分だったらと想像してみたり「あそこは別の意味があったのでは?」と考えたりします。
今回も例に漏れず、しばらく椅子の背もたれにもたれかかりながら色んなことを考えていました。
PCの前で椅子に座ったまま微動だにせず、ぶつぶつと何かを呟くおじさん。傍から見ればかなり変な人です。一人暮らしでよかった。

ネタバレはしたくないのでふわっとしたことしか書けませんが、「あぁこのおじさんは今回もあーでもないこーでもない考えてはいるけど、結局はうるうを楽しんだんだな」ということが分かってもらえればそれで満足です。

賢太郎さん、僕はやっぱりあなたの作品が好きです。
Deck.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?