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他空派の宗論⑧

第二項[否定的定義]において、
『大乗荘厳経論』より、「有ではなく無ではなく、そのごとくではなく他ではなく、生滅無く、書くとならず、増えること無く、清浄も無く、清浄となるそれは、勝義の相。」と説かれたように、勝義の法界そのものの本性において、遍計所執と依他起の二つの本質として有るのでもない。真如の本質として無いのでもない。その二つと勝義として同一と別の何ものでもない、生滅増減の戯論全ては原初より清らか(無)であるよりほか、以前有るものがしりぞけられたのではない、(根元的な)あり様の智慧である面から、法界は戯論と離れたと示され、
『大乗究竟一乗宝性論』より、「かくも虚空は全てに至る。それ故に汚染されることは無い。そのごとく全ての有情に とどまるこれは、汚染されることは無い。」と説かれたように、例えば虚空は形ある全ての事物にいきわたるけれど、形あるものの欠陥に汚染されていないように、その法界は全ての有情の心の本質にいきわたるけれど、心の上の一時的な汚れによって、自らの本性を如何なる時も汚染されることはない面から、法界は発生した概念によって汚染されていないと示されたことと、(否定的定義は)二つある。

「遍計所執(へんげしょしゅう)と依他起(えたき)」は、
他空派の宗論②
https://note.com/dechenblog/n/n0e1779050daf
に説明がある。

勝義の法界は「円成実性(えんじょうじっしょう)」に当たるので、
それではない(他である)遍計所執と依他起の本質として、有るのではない。

「その二つと勝義として同一と別の何ものでもない」とは、
その「遍計所執と依他起」の二つと、
勝義・真実として同一ではなく、

遍計所執と依他起は
錯誤した主客二元の知覚の対象であるが故に、
勝義・真実のフィールドに入れず
勝義として別ともいえない。

「戯論」も
他空派の宗論②
https://note.com/dechenblog/n/n0e1779050daf
参照。

本項での否定的定義は二つ。
①法界は戯論と離れている
 (法界は戯論の発生がない)
②法界は発生した概念によって汚染されていない(法界は概念による汚染がない)

ここでの戯論は、
主に宗客二元として放たれたもの。

空性と不別の智慧には、
主客の二元がない。

非常に精妙で
澄んでいて、
意識がとどまる対象は
何もない。

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