見出し画像

菩提心の称賛《宝珠の灯》第5偈

5)二諦の定義と、
無思、不二などの、
八の功徳を具える聖なる法は、
誰の守護ではないのか。
 
疑問代名詞を使って、逆の意味を表している。
「誰の守護ではないのか。」は直訳。「誰にとっても守護である。」の意味。
 
クヌラマリンポチェのすごい所は、「二諦(二つの真実)の定義」と書いたところで、学派によって異なる二諦の定義をすべて含んでいるところ。
「聖なる法」とは法の宝。
仏教徒の帰依の対象、三宝について一日一偈ずつ称賛している二日目は仏法について。
 
法の宝は、「滅諦、道諦に集約される法の宝」といわれる。
 
法の八の功徳も、『大乗究竟一乗宝性論』に出てくる。
弥勒の五法の一部で、弥勒の説法を無着(アサンガ)が人界に持ってきた教えだ。
 
解説も多いが、ゲルク派でよく読まれるのは、
ゲルツァブ・ダルマ・リンチェンの註。
内容を細かく説明し、中観帰謬論証派の解釈を以外な言葉でポロッと深く説いて下さるので、研究者には特にお勧めである。
 
個人的な感想で(ここすごく大事です!個人的、個人的!)
「無思」を「思考の対象ではない」「思いの及ぶところではない」、
「不二」を「主客二元の無い」として、
「無思」を滅諦に、「不二」を道諦に当てはめる解釈をした。
皆さんも自分で考えてみてほしい。
 
正解はテキストで答合わせになるけれど、
自分でどう感じるかをみるのも面白い。
 
掘れば深い意味がどんどん出てくる。
 
クヌラマリンポチェ、すごい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?