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他空派の宗論 19

第三項[結果の構成]において、[拠りどころである法身][依るものである智慧][事業の構成]の三より、

第一項[拠りどころである法身]において、[自性身][報身][応身]の三より、

第一項[自性身]
基である種、如来蔵界そのものが、無分別の(概念作用がない)智慧を修したことによって、全ての一時的な汚れと離れた、ニ清浄を具えた、無漏の全ての功徳の拠りどころとなる、勝義無為の智慧の御身がそれであり、それに五相と五功徳がそれぞれ具わるさまは、前述の帰謬論証派の時に記したごとくである。

第二項[報身]
第十地を得た時、円満な三十二相八十種好形で素晴らしく荘厳された智慧の身体を得たそれも、報身を顕現する拠りどころである。それから(得る)実際の報身において、あり方の報身と現れ方の報身のニつあるけれど、第一項(あり方の報身)は、前述した自性身である。

第二項[現れ方の報身]において、[定義][五確定などを説く]のニより、

第一項[定義]
「新しく得た平等性智と妙観察智が増上縁をして、十地の菩薩に五確定の様子で現れ、教えが途切れることはないなどの五の特徴を具えた色身。」が、現れ方の報身の定義。

第二項[五確定などを説く]において、[五確定を説く]と[五の特徴を説く]のニより、

第一項[五確定を説く]
五確定とは、その報身をとり巻く者が確定しており、菩薩聖者のみ。住処が確定しており、密厳浄土。お身体(の様相)が確定しており、三十二相八十種好形が明らかで完全である。法が確定しており、大乗の教えのみ。時が確定しており、輪廻のある限り、の五つある。それは『現観荘厳経論』に記されたごとくである。

第二項[五の特徴を説く]
教えの言葉を述べること、御身の現れ、御慈悲の働きの三つが途切れないことと、それらは努めによらず、所化に合わせてさまざまに現れる、の五である。それは『大乗究竟一乗宝性論』のごとくである。
上記の「あり方の報身」を自性身と定めることも、報身の戯れ(働きの発露)として現れることによって特徴付けたと理解しなければならない。


仏道修行の結果は
仏陀になることである。

仏陀としての存在は一つでも
さまざまな要素があって

それを
[拠りどころである法身]
[依るものである智慧]
[事業の構成]
の三項目で説明されている。

[拠りどころである法身]の中に
[自性身][報身][応身]
の三項目があることに
まず驚く。

次に[依るものである智慧]が
別項目としてあることで
認識を新たにする部分があることに
改めて気づく。

・・・・・

自空派の仏教基礎を学んだ人々は
おそらく、仏陀という存在を
利他の色身と自利の法身に分けて学ぶ。

仏陀の形ある御身としての色身と
形のない御身としての法身。

形ある御身の色身にニあり、
①報身(ほうじん):
修行の報いとして得た形ある御身
②応身(おうじん):
報身がもととなり、衆生の状態に応じて変化
して現れる御身

形のない「御身」と名付けられる法身にも
ニあり、
①智慧法身(ちえほっしん):
仏陀の智慧(意識)
②自性法身(じしょうほっしん)
仏陀の智慧の空性

と習う。

・・・・・

ここで他空派の本論に戻る。

ここでは、
拠りどころである法身に
自性身、報身、応身があげられる。

仏陀という存在の最も基になるのは
自性身。

まるっと「法界」と呼ばれる
法性 & 法性と不別の智慧で、
無始の時からもともとある法界と
修行したことで新しく得た法界が
ともに自性身に含まれる。

この自性身が
報身と応身の究極のあり方である故に、

報身と応身が
「あり方の報身」と「あり方の応身」として
[拠りどころである法身]の項にある。

弟子に合わせた形として現れる
「現れ方の報身」と「現れ方の応身」は
付随する形で
本項にあるように感じられる。

けれど、実際に十地の菩薩を含めた弟子それぞれを教え導くのは、
形として見える仏陀の御身である。

その現れ(視覚の対象)としての報身の
実質的な原因は、
十地の菩薩だった時に既に得ている
三十二相などを具えた姿。

そのあり方を特徴づける
原因に付随する条件(増上縁)が、
仏陀の平等性智(びょうどうしょうち)と
妙観察智(みょうかんさっち)である。

仏陀の智慧は一つだが
五つの見方で分けると、

①大円鏡智(だいえんきょうち):
五蘊のうち色蘊が浄化されて得る
②平等性智:受蘊が浄化されて得る
③妙観察智:想蘊が浄化されて得る
④成所作智(じょうしょさち):
行蘊が浄化されて得る
⑤法界体性智(ほっかいたいしょうち):
識蘊が浄化されて得る

となり、これらを五智という。

このうち
②の感受作用が浄化された智慧と
③の識別作用が浄化された智慧の部分が
報身を報身たらしめる条件として
そこにある。

ツッコミを入れれば、
平等性智と妙観察智を含む仏陀の智慧を得るのと同時に報身の現れを得るので、
平等性智と妙観察智は
増上縁にはなり得ない。
「縁」は時間的に
結果の前にあるものだからである。

閑話休題。

現れた報身は
五の確定した条件を満たし、
お働きとして
五の特徴がある。

本来の報身は自性身で、
二元の知覚に現れた時に
上記の様相をもつと説かれているが、

本来の衆生も
自性身の半分をもっていて、
二元の知覚に現れた時に
さまざまな様相をもつ。

似ているところもある。

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