法性が好きな人
そろそろ帰国の時期がやってきた。
インドでジョナン派を守る
インド・ジョナン派の座主、
ゲルツァブ・リンポチェが来日される
ということで、
お手伝いに入る。
学校で学んだことは自空派の見解が多かったので、
今回リンポチェにお目にかかって他空派のお話をうかがえたことは非常にありがたかった。
カーラチャクラはもとより、
その修行を通して実現していく
意識と認識対象のあり方が
非常に腑に落ちるものがあったからだ。
何より
ある意味救いになる部分は、
衆生には仏性、法性がもともとあり、
しかもそれは
実在の欠如という無機的ことではなくて
何でも生みだし得る
無様相でありながら非常に豊かな法性と
法性と一つになった智慧だという部分である。
無我や空性を求める人は多いが
今までの経験から見ると、
やや人生に苦しんできた人々が
無我や空性を求めているように感じる。
自分がそうだったからそう見えるのかもしれない。
すると、無我、空性という時、
何かの欠如という否定の方向に
考察を進めることが多い。
「苦しみを無くしたい」という動機からきているせいだろうか。
それが、あるきっかけで
有に方向転換することがある。
何かしらの喜びを見つけ始める頃である。
一緒に勉強している友人でもよいし、
親切な先生でもよいし、
居心地の良い場所でもよい。
ささやかでも「何か幸せだな」
と思える要素を見つけると、
日常生活の中でふと立ちどまり、
実は自分は幸せであったのかもしれないと
思いだす。
自分の心も身体も自然に受け入れて
良いこともあったなと肯定し
「まあこれも何かのご利益かも」と
目に見えないものに
フワフワした感謝の念が湧いてくる。
こういう気分の人には、
他空の法性、法界の話が入りやすい。
自空の見解は、
頑張って智慧と徳を積んで仏地を成就する
修行好きな人が
好むかもしれない。
勝手なことを記したが、
自空の論を説いても他空の論を説いても
修行する方々が真摯に精進を重ねておられることに違いはない。
素晴らしい方々がおられることに
感謝する。