菩提心の称賛《宝珠の灯》第236偈
236)実在と虚無の見解をもつ
五部論師などには
菩提心がないことは確実である。
もしあるなら訊いてみよう。
「実在の見解」と訳した部分は、
恒常の見解(Ty ag lta )で、
ものごとは真実、実在として存在する
とみる見解のこと。
「虚無の見解」と訳した部分は、
断滅の見解(chad lha)で、
何も無い、というより、
因果応報や、
苦しみから離れる為に頼る対象(帰依対象)等は
無いとみる見解のこと。
「五部論師」とは、
釈尊がインドに現れた時に広まっていた
バラモン教などに含まれる、
非仏教徒の信仰で、
論理学を持つ主な五つの宗派。
数論派(サーンキャ学派)
ジャイナ教徒
勝論派(ヴァイシェーシカ学派)
ベーダ派(ニヤーヤ学派)
順世派(ローカーヤタ派)
上記五派のうち、
上の四派が実在の見解を持ち、
最後の一派が虚無の見解を持つ。
彼らが菩提心を持ち得ない理由も、
ただ
仏教徒ではないから
良い人間ではないから
という簡単なことではない。
仏教徒をヒイキして、
そう説かれるのではないだろう。
それぞれが考えなければ
ならないことではあるけれど、
一番の根幹は
彼らの見解では
仏陀になることがあり得ないので、
全ての衆生を全ての苦しみから解放し、
最も幸せな(であると仏教徒が考える)
仏陀の境地へ導くことが
できないからだろう。
ゴールが無いか、
ゴールへ続く道が無い。
彼らの中にも、
皆を助けたいと思う人々はいるだろう。
ただ道が
菩提を目指していないのだ。
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