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菩提心の称賛《宝珠の灯》第305〜311偈

305)多くの努めによって
大乗の菩提心を保つ者、
彼が福徳をなさぬことがあろうか?
彼が智慧を生じさせぬことがあろうか。

306)自他の財産の居所は
諸々の仏菩薩の菩提心。
王の頭頂に飾られた
宝玉をも貶める。

307)菩提心の宝珠をまとう者の
偉大な福徳はどこにあろうか?
その地は他より優れている。
最高の教示者が御坐す所のように。

308)菩提心の動機によって
何をなしたとも、全ては善である。
薬木の種より生えた
枝葉、花、果実は善であるように。

309)宝珠である最高の菩提心の
利益ははかり知れない。
正しい教証と道理の
諸々の正理によって、非常に明らかである。

310)持戒からは、衰えてもまだ良いが、
菩提心から衰えれば下落する。
前者の果は善趣であり、
後者の果は仏陀である。

311)常に最高の菩提心を
大切にして心相続が潤っている者、
彼らが楽から楽へと
行かれることを、誰が止めようか。


「善趣」とは、
六道輪廻の生まれ変わりの中で
苦しみの少ない善い趣きをもつ生で、
人、阿修羅、天(神)をさす。

「教証」とは、
教えとしての証(あかし)。
ここでは、文字となっている仏菩薩の教え。

当たり前といえば当たり前なのだけれど、
全ての偈に「菩提心」という言葉が出てくる。

著者は一日一偈記されたそうだから、
毎日菩提心を呼び起こす思索を
努めてなさっていたのかと思う。

習慣にするのは、
その意味で心に有益であると感じる。

さて、今年のダラムサラでは、
以前のように出家者の授戒、
大祈祷会、法話会が催される。

法話会は三月七日から三日間。
南インドや各地から、
多くのお坊さん達も集まっている。

法話会前の準備も忙しい。

次回は十一日、土曜日に更新します。


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