あの日
たとえば廃墟で白骨化死体を見ても何も思わないだろう。でも、つい昨日まで生きて動いていた人間が棺の中で横たわる姿は、どう見ても生きているようで、むしろ生きていた時の記憶よりも美しくて、それが恐ろしかった。棺の上の扉が開いていたけれど、顔をすぐには見られなかった。
魂がそこに無いだけ、ただそれだけの違いがこんなにも大きい。
献花して故人の顔を見る列に私が並んでいた時、久しぶりに会ったけど大きくなったねと先生の娘に声をかけられた。ピアノを習いに先生の家へ通っていた頃も良くしてくれていた従姉のような存在だと感じているけれど、こんな時に話しかけないでほしいと思って、生返事だけで半分無視してしまった。
だけど、よく考えたら先生の死を一番悲しんでいるのはその家族で、大人だからこんな時でも気丈に振る舞っていただけなのだと思うと、なんだか申し訳なかったなと後悔した。私はまだまだ子供だった。将来両親が亡くなったら、私もあんなふうに喪主の務めを果たすべく自分の感情を押し殺さなくちゃいけないのだろうか。自信が無い。どうして一番痛みのある人にそんな役を押し付けるのか。残酷だ。そう考えると先ほどの私の態度はますます反省すべきものに思えた。
死と悲哀の空気の内で、自分を責めているその瞬間だけ落ち着けるような気がした。
先生の眠る顔を見た時はあんなに涙が流れたのに、帰り道は涙もさっぱり乾いてしまっていた。むしろ泣いてすっきりした気分が心の中に生まれていて、私は私自身のことがすごく嫌になった。先生にはもっと長く生きてほしかったし、私はもっと長い間悲しみに暮れていたかったのに、どうしてこんなにも人の世は無常なのだろう。私が無情だからなのかもしれない。気づいたらこんなくだらない言葉遊びを平時のように始めだす自分がまた少し嫌になる。
夕焼けが綺麗だった。誰かが大切な人を失っても空は変わらず美しい。そう思ってしまった自分が憎らしい。今日一日くらい落ち込んだままでいたかった。
涙が枯れるのも、夕焼けが美しいのも、人が悲しみの磔になってしまわないように、明日に足を踏み入れることができるように、神様がそう世界を創ったのかもしれない。そうでなければ納得できないほどに、今日の私と正反対な輝きが、私の今日に焼き付いた。
親の運転する帰りの車で流れていたJ-POPが鬱陶しいことこの上なかった。それが何という曲だったかなんてもう覚えてはいないけれど、この日のことを、私は命の日の限り忘れることはないのだろう。
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