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そこに見下すべき人がいるから

「マウントをとる」と言う言葉が市民権を得た気がします。
格闘技の世界だと、多分「有利なポジショニングを得る」というポジティブな意味だと思うのですが、現在、一般的に世の中で使われる場合には「上からモノ言いやがって気に喰わねぇなこの野郎」というニュアンスを含むような気がします。
そもそも、「マウントを取られた側」あるいは「その状況を第三者的視点で見た側」だけがマウンティングを認識するのであり、仮に「ウチは年収1兆円ですけど?お宅は?」という人だって、別に内心で「今、俺(私)、マウント取ってるわー。気持ち良いー」と思いながら言ってる訳では無いと思います。
基本的には、動物のそれとは違って、自覚なき行為なのではないかと考えます。

で、本質的に進歩・発展と裏表ではあると思うのですが、それでも現代社会において推奨されている行為とは言い辛い「マウンティング」。
その中でも、私が個人的に「それ意味有る?」というものを挙げてみたいと思います。

①100点の運転、見せてやっから!

僕は25歳を過ぎてから普通自動車免許を取得したのですが、地域性なのか自動車学校のチョイスの所為なのか、10近くも年下(バイクの免許を取りに来ている)のヤンチャ感丸出しの、古い言い方だと「ガチンコ!ファイトクラブ」出演者の皆さん、みたいな人達に囲まれて授業を受けたりしていました。
僕は交通法規を学びに来たわけであって、

教官「てめぇら、授業聴かねぇなら帰れコラ!」
ガチンコ「うるせぇ!いいから授業やってろ‼︎」

という、ほのぼのしたやり取りを見に来たわけではないのです。
そんなストレスフルな教習の日々。
実車教習の際、教官が実際に、乗車前の安全確認から実技、安全に降車するまでの完璧な動作、すなわち「100点の運転」を見せてくださることが有る訳です。何回も、颯爽と、ドヤ顔で上の台詞を言われました。

なんでしょーね?言い方?
初日に、ガチンコ疲れしていた自分が「うっせーよ」と思ってしまったのが、もう良くなかったのだと思います。が、反射的に「わかったよ、すげーよ、こっちは0点の運転しか出来ねーから教習所来てんだよ、ごめんなさいよ」と思ってしまったのですね。
以降、これを言われる度に「やだわー上からだわー」と思ってました。まだ「マウント」という言葉が周知される前の頃のことですが、今思えば、その単語がしっくりくる話でした。

②お前のオシメ(オムツ)替えてやったのは俺だぜ?

直接言われたことはないですし、多分言われても僕はノーダメージですが、割と漫画なんかではよく見るシーンですよね。
年頃の女の子キャラが、既知のおじさん(親戚筋とか師匠系とか)にからかわれたりするシーン。気の強い女の子だと、おじさんにビンタ張ったりしますね。
これー、今の御時世的にどうなん?って言うのは置いといて、個人的な感想ですけど、オムツ替えてることを先々の交渉材料に出来る気がしないっス。
今日も娘のオムツ替えてる最中に大惨事を起こした僕としては、この日々や出来事を、将来的に自分が優位に立つ為に引き合いに出す、という作戦は打ち立て辛い、と言うか無理っス。
で、「親ではなくて、たまにフラッと現れて、オムツを替える機会が有り得るおじさん」が仮に存在したとして、そもそも論として、その人に多分オムツ替えを任せないと思います。
で、万が一それが起こり得たとしても、そんな1回や2回のオムツ替えごときでマウント取れるとは思わないので、もしどこかに「リアルでコレ言われたことあるんですけど」と言う人がいたら、私が個人的に「そんなん無視してええ奴や」という言葉を贈ります。
あれはフィクションの世界の中でも、かなりフィクション寄りな概念だと思います。


かく言う私は、常々、「マウントを取らない俺って、マウント取りたがる奴らより、一段高い所にいるんじゃね?」というマウンティングを行なっています。

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