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老害

僕は老害なので、時につけ、所謂、若者及び若者文化というものに対して、理由なく否定的なスタンスを取る、というプログラムが自動的に発動します。

先日、久方ぶりにTVの歌番組を視聴する機会が有りまして、それは恐らく若者をターゲットにされていたと思うのですが(そして、その時間帯、若者はすべからくスマホやネット動画を見るのに勤しんでいたと思うのですが)、そんな昨今のアーティスト様達の曲を聴いて私が感じたのは、

全部言っちゃうんだ⁉︎

でした。

あの時僕はどーしたこーした
だから君はあーしてこーして
僕はこう思ったから君にそう伝えて
そしたら君はこう感じたから僕にこう答えて

……と、一から十まで、シチュエーションも心情も、見事に説明してくれていたのです。たまたま聴いた一曲、ではなく、多くの曲に同じことを感じました。
僕は、「あ、全部言っちゃうんだ⁉︎」と、東京03飯塚さん風に思いました。

良い悪いの別はさておき、想像の入る余地が無いのです。
しばらく前から、小説のタイトル等もその傾向がありましょうか、もう、その文言が全て、それ以上でもそれ以下でもない、というある種の無慈悲な表現です。

多分、受け取る側が楽なんだろうなと思います。
察する必要が無い。
「その解釈、間違ってるよ」と指摘されて恥をかく事も無い。
「向こうが(クリエイターが)言ってくれてるんだから」責任が生じない、とも言えるでしょうか。

これにより、遠からず「月が綺麗ですね」と言われ、「はぁ」「ですね」とのみ答える世界が爆誕します。
その世界では、頬を赤らめてうつむく人の方が異端なのです。

で、何が言いたいのかと言うと、やはり察する努力を怠ってはいけないのではないか、ということです。
この作り手のサービスは、受け取る側への過剰包装だと思います。
感じて考える余白を残し、トレーニングを要求しなければならないと思います。
研ぎ澄まされた人間が、求められるべきだと思うのです。

何故なら。
何故なら、そう。
僕が、そう、他でも無いこの僕こそが、察して欲しい人間だからです。
察して欲しいし、気を配って欲しいし、言わなくても分かって欲しい。
「月がきれ……」と僕が言い終わる前に、「わたしもですっ!」と言って欲しい。

ただ、これも察していただきたいのですが、僕自身は、人の気持ちを察することが出来ません。
僕は何も言いませんが、周りの皆様には「この人、こんな風にして欲しいのかな?」と想像していただきたいのです。そして僕には、「言ってくれなきゃわからんよ」とふんぞりかえってキセルでも吹かさせて欲しいのです。
僕は想像力の必要無い楽チンな世界に住まわせていただきますが、世の中の僕以外の皆様には、是非とも、何卒、察する研鑽を積み重ねていって欲しいものです。


勿論、想像力のある方であれば、この文章から、僕の「今日の世界がどうか平和でありますように」という本当の意図を汲み取ってくださるかと思います。

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