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非アドベンチャー

漫画「ONE PIECE」が連載を開始したのは、僕が高校生の頃だった。「野郎ども、冒険だー!」……船長の雄叫びに呼応する、頼れる仲間たち。
毎週月曜日は、サッカーやってセクシーコマンドーやってスタンドバトルやって流浪人やって葛飾区亀有公園前派出所で警官やって……ただでさえ忙しい所に、海賊達まで現れて、頭の中はてんやわんやだった。親に「漫画ばっか読みやがって」と言われて、「めっちゃフル回転なんですけど!」と頭を開いて見せてやれないのが残念だった。

あれから20年余。今日現在で、未だ海賊王の宝は見つかっていないようだが、変わらず勇ましい冒険は続いている。

にも拘わらず、だ。

「ONE PIECE」の歴史より更に長いこと生きているのに、あれだけサンジの生き様に憧れていたと言うのに、この僕ときたら、人生の中で、まるで「冒険」ということをしてこなかった。
未知の秘境に繰り出すことはおろか、およそ危険地域には足を踏み入れず。生活の中でも、決まった道しか通らない。新発売ジュースには手を出さず、スマホはアップル社。志望校は安全圏。これで、よくもまあ、チョッパーの旅立ちシーンで号泣したものだと思う。

そんな僕は「ライブ音源」が苦手だ。
あれだけTSUTAYAのセルCDコーナーが縮小されているということは、つまり、ライブCDという単語も死にかけているということだと思うが、ともかく、どれだけ好きなアーティストでも、ライブ盤となると「別に買わなくてもいっかぁー」と思っていた。新譜情報に浮かれて、ライブ音源だと知ってがっかり、そんなことを何度も繰り返していた。

ひとえに、通常版に浸りきった耳が、ライブ盤に覚える違和感ゆえに、だ。

恐らくスタジオで収録されたであろうアルバムを購入し、聴く。勿論そこにはアーティストの意図が有り曲順が決められている。僕はその意図に添い、繰り返しCDを聴いていく。自然、耳が次の曲を覚えてくる。N曲が終盤に差し掛かると、気持ちは既に「次はN+1曲だな」と移ろい、前曲のアウトロから次曲のイントロが既に頭の中で再現されている。
この、予定の調和が取れている感じ。「予定調和」という言葉はなんとなく嫌なイメージで使用されている印象が有るのだが、元来、イレギュラー無く予定通り進むことは素晴らしいことなのだ。

なのに。
あのライブ盤ときたら。

曲順が違う。アレンジが違う。間奏のギターソロが違う。ボーカルの声は裏返り、時には歌詞が飛んで「○△×#☆◇~♪」。何故か挟まれるコール&レスポンス。

通常版という安定神話とは真逆の世紀末世界がそこには有る。自室でリラックスして聴く筈が、再生の度、「そこもちゃうんかい!」と前のめりでツッコむ若手芸人スタンスを余儀なくされる。

ライブに参加出来ないファンの為に、あるいは、あの時の臨場感を再び熱望するファンの為に。
ライブ盤の存在意義はほぼそれに尽きるだろう。
しかし、いや、だからこそ。
そこに価値を見出せないファンも居る、ということもまたお許しいただきたいと思うのだ。
慣れ親しんだ毛布に包まれるように、ただひたすらに安定を求める……それはロックの精神にはそぐわないものかも知れないが、「ONE PIECE」の世界にも、内陸で新聞を読んで「海って怖いわねー、やーね」というだけの人もきっといる筈だ。
ダイバーシティの概念まで教えてくれるのだから、流石日本一売れている漫画と言わざるを得ない。

ところで、海賊の冒険と大体同時期に、確かあらゆるものをHUNT×2する漫画も連載が始まったような気がするが、そちらはそちらで、非常に多くのことを学ばせてもらっている。
あ、こういう生き方も有るんだなー、と。

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