『再生停止のその後で。』特別編 /『青春依存のボクだから』/ 2021年3月25日
「でっく、好きそうだよね」
今日が初お給仕だというメイドの写真をLINEで送ると、友人から間髪入れずに返ってきた。眼鏡で三つ編み。僕はいったいどのように見られているのだろうか。
初お給仕の情報は、あっとほぉーむカフェの公式アカウントがツイートする。メイドとして最初に世界に発せられる情報だ。このツイートに添えられる自己紹介的な文言と一枚の写真から、みんなのメイド人生が始まる。
普段なら流し見してしまう初お給仕ツイートだったが、今回はなぜか妙に惹かれる部分があった。
『一緒にこの世界を征服しましょうね』
写真に添えられた一言。世界征服を目指すメイドってなんなんだ。
思い返せば今までクセの強いメイドばかりを追いかけてきた気がする。ユユしかり、しもふりしかり。自分の中にある『理想のメイド像』がブレないメイドが気になるのかもしれない。
容姿も重要ではあると思うが、ご帰宅から一年半経って思うのは『それだけでどうにかなるものではない』ということだ。それぞれの個性が心を掴む大切な要素になっている。世界観、話のリズムやテンポ、趣味……第一印象から先に進むには、これらが必要だと思う。
『気になる』
LINEを送った瞬間に既読がつく。返信を待っているわけではないのに、自分の送ったワードを見つめてしまった。そう、たしかに気になっている。
後ろに用事があるわけではないのに、腕時計で時間を確認する。スマホを開いて初お給仕のツイートを見返す。PayPayアプリで『3月の使用累計金額』を見る。気付けば秋葉原駅の電気街口改札に着いている。
行き交う人の邪魔にならないように柱に寄りかかり、またツイッターを開く。背中で感じる広告の温度がいくつか変わった頃、お屋敷に向かって歩き始めた。
この日、すでに一度ご帰宅をしていた僕は、時間を空けての再ご帰宅に少しだけ気恥ずかしさを感じていた。「また来た」なんて思われているのではないだろうか。そうだとしても気にすることないか。そう思いつつも、エレベーターのパネル上を指が泳ぐ。
戻ろうとしているのはユユがいた場所、足が遠のいていた6階なのだ。
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訝しげな表情のメイドは「コレチェキ初めてなんです」と言った。
目の前でソロチェキにお絵描きをしてくれるサービスの『コレチェキ』は、仲良しなメイドとマンツーマンで話すためのものでもある。コロナ禍になる前に存在していた『ゲーム』のようなものだ。それを初対面、しかも今日が初お給仕だというメイドに注文したのだからそんな表情にもなるだろう。
コレチェキは喋りながらお絵描きをしなければいけないという、とんでもない高等技術が要求される。アクリル板の存在する現状では表情も声のトーンも伝わりづらい。難なくこなすメイドたちの技術は世界に誇っていいはずだ。彼女たちは間違いなくプロだ。
「初お給仕情報の写真を見て、気になってご帰宅したんです」
なるべく聞き取りやすいトーンで、返答のいらないメッセージを投げかけてみる。手元のチェキを見つめたまま、ペンがピタリと止まる。
「ありがとうございます」
言葉を終えるとペンが動き始める。これはコレチェキの最中にあまり話しかけるのは悪いかもしれない。お屋敷の喧騒の中、そこだけ遮音された空間のように無言で時が過ぎていく。
ピピピピピ
タイマーのアラーム音が鳴ると、ペンの動きが早まった。プレッシャーをかけないように視線を外すと、彼女が「あっ」と短く声を上げた。
「自分の名前、書き間違えちゃいました」
2文字しかない自分の名前を前後逆に書いている。矢印を引っ張って書き直すも、また後ろの1文字をミスしてしまい妙な位置に『オ』が出現した。
「いいよいいよ全然! 逆に良いよ!」
謎のフォロー。あはは、と笑いストローに口をつける。からん、と残った氷が音を鳴らした。
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総武線、各駅停車三鷹行き。換気のために開けている窓から冷たい空気が入ってくる。もうすぐ4月だというのにまだ肌寒い。
コレチェキを思い出すとマスクの内側で口角が上がった。自分の名前、しかもたった2文字しかない名前を逆に書いてしまうなんて。
たどたどしいトーク、喋るとペンが止まってしまうあの感じ、『研修中』と書かれたプレート。ユユやしもふりにもそんな時があったのだろうか。流れていく景色を見つめながら、見ることのできなかった初お給仕に思いを馳せる。
『引退は何度でもできるけど、デビューは一度しかできない』
とあるアイドルの言葉を思い出す。今日は彼女にとってのデビュー、メイドとして始まりの日だった。
ユユの物語は始まりも、終わりも見ることができなかった。
しもふりの物語は、始まりは見られなかったが終わりまで見届けることができた。
そして今日、あっとほぉーむカフェに通い出してから初めて、自分の意思で物語の始まりに立ち合おうと思った。
中野駅から出発するためにドアが閉まる。顔を上げるとオレンジ色だった街並みは、夜景になる準備を始めていた。背もたれに身体を預け、スマホに目を落とす。写真のないアイコンはまだお給仕中だ。
物事が始まると、終わりを考えて寂しくなってしまう。いつからかそんな癖がついてしまい、そのおかげで始まりに触れることから逃げていた。でも、今日は違った。
次のお給仕はいつだろうと調べてみるも、まだツイッターもブログもない。新人メイドは1ヶ月経って研修を受けないと、その両方がもらえないことをすっかり忘れていた。
お給仕日程がわからないのでスケジュールが立てづらい。ぐるぐるを追いかけるもどかしさを感じて、その懐かしさにまた口角が上がる。
あっとほぉーむカフェは別れの文化だと思う。メイドもご主人様もお嬢様も、必ずやってくるその時に向けて思い出を積み重ねている。その積み重なった思い出の高さが人によって違うから、終わりの景色も人それぞれなのだろう。
次の終わりにはどんな景色が見られるのだろうか。まだ『巨大生物が好き』という情報しかないメイドを思い浮かべながら、動き始めた物語の、いつかやってくるその時のことを考えていた。
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