手紙
「でっくさんが書いた文章を読んだから続けられている」
ある日、そんなことをメイドから言われた。
初めて推しと出会ったときの文章を読んで、誰かもこうして自分のことを見てくれているのかもしれない、と思ったのだという。
想定外の出来事に弱いので、「は、はわ……」みたいな返答をしてしまい、それを思い出して恥ずかしい。
それだけが続けられた理由ではないことはもちろん承知している。
けれど、自分の言葉が思いがけず誰かの気持ちの支えになることもあるんだな、なんて思う。
思い返せば自分自身もメイドの何気ない一言に救われ続けてきた。
今でも反芻する「でっく自身も、その周囲の人もすごい」というあの言葉。
「そりゃ相手は仕事だからそんなこと言うよ」
知り合いにこの話をしたら、そう返ってきた。
職業柄、そういうシーンに出くわすことが多々あるので、それもまた理解できる。
しかし、真実か嘘か、本音か建前かだけが重要なのだろうか。
その言葉を信じるか信じないか、の方が重要ではないだろうか。
壊れたビデオデッキで再生されて生まれたことも、牛に乗ってやってきたことも、世界平和のために世界征服を目論むことだって信じている。
信じることが、信じてもらえることにつながるはずだから。
「マオさんのことを書いたnoteを読んで泣きました」
先日、参加した即売会でそう言って本を購入してくれた方がいた。
彼女は、「いつかメイドの魔法にかかりたいと思ってます」と続ける。
「この本でオタク側の気持ちを理解しようと……」と、さらに続ける彼女を制しながら、こんなこともあるんだな、なんて思っていた。
誰かに向けた言葉や感情がその方向を変え、意図せず誰かを励ましたり勇気づけたりすることがある。
これは、いま読んでいるあなたにも言えることだ。
あなたの言葉があったから、
あなたの笑顔があったから、
あなたがいてくれたから。
そんなことを思っている人は、どこかに必ず存在しているはずだ。
「『今』はこの瞬間から薄まり消えていく。
良いことも悪いことも、過去も、出会った多くの人たちのことも、いつかはすべて忘れてしまう」
好きな作家の受け売りだけれど、だとしたらみんなとの記憶はこうして書き留めておきたい。
そして、この手紙も誰かの何かのきっかけや支えになってくれたら、なんて思う。
これからも楽しく健康に(←これが一番重要!)いきていきましょう。
また1年、よろしくどうぞ。
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