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「大学デビュー男子研究会」ってなに?

はじめまして。
「大学デビュー男子研究会」発起人のタカタです。
現在は大学生で、京都市内の大学に通っています。

今日はまず「大学デビュー男子研究会」というこの度僕が発足した研究会について簡単に説明しておこうかと思います。

「大学デビュー男子研究会」。
ぱっと見ではどういうことをする会なのかあまり見えてこないんじゃないかと思います。
自分で命名しておいてなんですが、ちょっとふざけた印象さえあるかも知れません。

ただ先に断っておくと、当研究会は「どうすればうまく大学デビューできるのか」を研究するようなことはまったく目的としていません。
後ほど説明しますが、割と真面目な動機で発足しました。

では早速ですが、説明へと移っていきましょう。


「大学デビュー男子研究会」とは?


「大学デビュー男子研究会」は「大学デビュー」というキーワードをきっかけに、広く男性たちの抱える個人的な生きづらさや悩みについて語り合う当事者研究団体です。

…これだけでは、まだ説明が足りなさすぎますよね。
それではまず、なぜ男性たちの抱える個人的な生きづらさや悩みについて語り合う必要があるのかということについて説明していこうかと思います。

批評家の杉田俊介さんは「男の弱さとは、自らの弱さを認められない、というややこしい弱さなのではないか」と述べています。
なんとなく生きずらさや悩みを抱えていても、それを「生きずらさ」や「悩み」として認識することができない。
たとえ自分はそれを認めていても、周囲の人たちからは「男らしくない」「気にしすぎだ」と一蹴されてしまうかも知れないという恐れから心に蓋をしてしまう。
ホモソーシャル(女性蔑視・同性愛嫌悪的な男性同士の結びつき)な空間の中では、なおのこと口にするのが憚られることでしょう。
その結果、男性たちは一人で葛藤や躓きを抱え込むことによって過剰な自己批判に陥ったり、それを他者への加害的な行為として表出させてしまうかも知れません。

男性たちにはつまり、こうした問題についての語りの場が圧倒的に不足しているのではないでしょうか。
当研究会は以上のような問題意識に立ち、これまでの男性学研究やメンズリブ実践に続くものとして発足されました。

ただ、以上のような説明によって「男性たちの方が生きづらい」という主張をしたい訳では決してありません。
現在の日本の、特に異性愛の男性たちはどれだけ「生きずらさ」や「悩み」を抱えていたとしてもマジョリティであり、女性などのマイノリティと呼ばれる人たちに比べて制度的・構造的なレベルで優位であることは否定しようのない事実だからです。

ただ、その上で多数派の男性の中にもあるはずの弱さ、そこから生じる葛藤や躓きを認めることは、自身の制度的・構造的なレベルでの特権性に批判的になることと矛盾しません。

…ちょっと文章が堅くなりすぎたかも知れませんね。
もちろん以上のような問題意識は大切ではあるのですが、もう少し楽しい雰囲気で語り合ってみたいのです。
「楽しい」とは書きましたが、もちろん普段口にできないような生きずらさや悩みについて共有し合う訳ですから過度にふざけた雰囲気は誰かを傷つけかねないし、あるいは男性たちが集まっている以上ミソジニーに流れ込む危険性には常に気をつけなければならないでしょう。

ただその上で、個人的な苦しみが他の人たちの苦しみと共通しあっていることが分かったり、自分の語りが周囲に受け入れられていると感じた時に得られる安心感は「楽しい」と表現しうるものだし、それは大切にしていきたいと思っています。

所詮僕は専門家ではありませんし、当事者研究の知識も経験もまだまだ不足しています。
なので適度な緊張感は保ちつつも、普段学校などの別の社会とは違った男性たちの緩やかな結びつきを作り出す、そういったイメージで当研究会をスタートさせていきたいと思います。


なぜ「大学デビュー」なのか?


そもそもなぜ「大学デビュー」をキーワードとして取り上げているのか不思議に思う方もいらっしゃるかも知れません。

まず「大学デビュー」とはなんでしょうか?
オンライン百科事典サイトのweblio辞書で調べてみますと、『実用日本語表現辞典』では「高校生の頃は、それほどクラスで目立たない存在だった人が、大学に入って、主に友達が多く、異性にもモテるような、充実したキャンパスライフを送りたいという気持ちから、見た目や言動を大きく変化させることを意味して用いられる語」とされています。

当研究会の発足は、このような「大学デビュー」と言われる現象の内実に違和感を抱いたことがきっかけでした。
これまでのジェンダーに関する研究が指摘してきたように、こうした「モテ」の実践が「男らしさ」「女らしさ」などのジェンダー規範を再生産していることは言うまでもありません。
そして規範化されたジェンダーは、特にそこにうまく乗り切れない人たちに対して抑圧として働きます。
まさに「大学デビュー」と言われる実質的には規定されたコースを自身が実践する中で些細な違和感を抱いている人や、はたまたそこから周縁化されそのこと自体に鬱屈した感情を抱えてしまう人など、抑圧は人それぞれに固有な形をとって現れます。
そもそも「異性にモテるような」という定義自体、多分に異性愛主義的なものといえるでしょう。

こうしたジェンダー規範再生産の根拠地(というと少々物騒ですが)としての「大学デビュー」をキーワードに、男性たちの生きずらさや悩みについて語り合うことは意義のあることだと考えています。

ただ一方で、実際に「大学デビュー」している人々を一方的に「間違っている」として非難するつもりはありません。
気の合う友達が増えるのは嬉しいことだろうし、気になっている人にモテたいという気持ちも共感できるものです。
また「大学生っぽいことしてる!」と感じる時のメタ的な喜びに関しても僕自身経験があります。
さらに言えば「大学デビュー」という概念に内在する「これまでとは違った自分になりたい!」という思い自体は決して悪いことではありません。

その意味で、当研究会発足の理由を述べるために先ほど辞書から引用はしましたが「大学デビュー」について明確に定義をしない方がいいんじゃないかと思います。
その方が一般的に想起される意味に縛られずに、男性たちの豊かな語りが引き出せるのではないかとも思うからです。

当研究会は従来のジェンダー規範再生産的な「大学デビュー」を批判的に検討しつつも、生きずらさや悩みについて共有・研究し合う中で、あわよくば参加者男性たちが何か新しい男性像に「デビュー」するきっかけになれたらいいなと考えています。


ここまでざっと研究会について考えていることをまとめてみました。
今後も随時必要だなと思う情報は追加していくのでチェックしてもらえると幸いです。

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