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卒業して10年経ったら誰か一人ぐらい

私の人生では出来るだけ多くのことが公平であってほしい。
それは私にとってだけでなく、誰にとっても。

亡くなったんだよ

足が速くて小柄でかわいらしい女の子、これが彼女の第一印象。
その印象は小学校の6年通して変わらなかったし、中学生活を終えても変わらなかった。家も近くはないから会うこともほとんどない。高校が離れてからは全くと言っていいほど会わなくなった。
私が上京してからはもっと会う可能性は低くなった。

帰省して旧友と会った時に、彼女が亡くなったことを聞いた。
事故だった。
故郷から遠く離れた土地で亡くなったと聞いて、それがかわいそうだなと思った。

世の中は公平な方がいい

事あるごとに公平であることを求めるのは、私の癖。
頑張れば誰でもできるようになる勉強は頑張ればいい。
コロナで練習環境に差が出る状況下で、オリンピックを開催すべきでない。
私が言う公平とは、おおよそこんなとこ。

命の長さは公平に含まれていない。
運命に人は勝てないと思っている。

絶対的な存在に

亡くなった人に対して何か言うといい事がない。
言い返せない人に何か言うべきではない。
でも思うことはたくさんある。

私は彼女と仲良かった訳でもないし、何なら喧嘩ぐらいしたかもしれない。
飲み会で会ったとしても、言葉を交わすかわからない。

でも、それなりに裕福な家庭で育って、友達も多い、学校にも毎日通っていたみたいだし、彼女を好きだという男子もいた。勉強は得意ではなかったけど運動はよくできた。何というか、とても恵まれた人生なように見えた。

そう思ってたんだよって。

何の足しにもならないにしても、何も伝わらないし受け取られることもない。

これが事故なんだと。
圧倒的な喪失感で、むしろ平気に感じるぐらい。
自分の発する言葉が全部嘘くさくて、飲み込むんだけど、思い出すこともあって。何で気になるのか、繰り返し思い出すのかわからない。

ちょっと不公平なんじゃないかな。
運命だとして、この不公平はないんじゃないかなと、そう思うだけ。




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