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(第29回) 自分で切り倒した木に押しつぶされて死んだビーバー

 ネットの片隅に「自分で切り倒した木に押しつぶされて死んだビーバーを発見」(デイリー・メール)という記事を見つけた。記事には、小さい電柱ぐらいの太さの木に胴体を押しつぶされたビーバーの写真が付けられていた。ビーバーは木に自慢の歯を立て削り倒すが、木が倒れる時に、運悪く自分にぶちあたってしまったというわけだ。

 木が倒れる方向は360度。ビーバーは直撃を受け死んだ。偶然とは怖ろしいもの。偶然とは神によってもたらされるもの。これこそがアニミズム(原始信仰)の原点である。

 熊野は日本でも有数の観光地だ。日本人のみならず外国人観光客にも人気で、多くの人が訪れている。

 熊野で人は何を感じ取るのか。日本の原点、自然と一体化できる静謐なる地、神と仏が交錯する地。そんな「イメージ」はなんとなくわかる。だが正直、わたしにはなかなかこの地の「理解」ができない。

「考えるのではない、感じるのだ」。よくそんな物言いをする。たしかにそうなのかもしれない。深く頭で考えず、身体と心を開放しながら身を委ねる。熊野は、きっとそんな場所なのだ。

だが、仰ぎ見るのと同時に、理解の及ばないものへの敗北感さえ感じる。あなたは、熊野で何を観てきたの? そう問われて、答えられない自分がいる。やはり、熊野は変わった「観光地」だ。

 私見だが、できるだけ簡単に捉えてみたいと思う。

 巨大な岩が山肌を滑り落ち、そして止まった。突然、莫大な量の水の流れが岩肌を突き破り、そこに荘厳な滝を作った。小さな泉から生まれ出た一滴の水が雄大な河の流れを生みだし、聖なる中洲を育んだ。神倉神社(熊野速玉大社摂社)、那智の滝、そして、熊野三山の総本山、熊野本宮神社など、熊野にはいくつもの「偶然」が生まれ、古代の人々はそこに神の存在を感じた。

 人々は神に畏れを抱き、神の存在の証を(社として)空間と大地に印した。やがて、この原始信仰は建国の「祖先信仰」と融合し、さらなる安寧を生みだした。これが熊野信仰である。

 偶然には神がいる。もしかすると、熊野はこのことだけでいいのかもしれない。

 熊野街道を田辺から紀伊半島の海岸沿いに走り(大辺路)、太地、那智勝浦を巡り、新宮へとたどり着いた。作家・中上健次の故郷でもある新宮の神倉神社から街を見下ろし、さらに、熊野川を西の山間部へと上っていった。

 新宮から本宮へと向かう道は中辺路と呼ばれ、国道の所々から、いわゆる「熊野古道」へと行くことができる。熊野本宮大社のある地区の南側には湯の峰温泉、川湯温泉などの温泉場がある。川沿いの宿屋はそれぞれ趣向を凝らし、川面近くに露天の浴場を設置している。期間を決めた冬の間、川の一部を堰き止め、「仙人風呂」として多くの温泉客に開放する。この「催し」は江戸時代にはじまったとされている。

 熊野本宮大社まで歩いた。熊野古道は、さまざまな色と光が交錯する静かなる道である。ほんの一部を歩いているだけだが、古代の人々の長く険しい道を歩く、神への畏怖と快感が入り混じった、そんな足取りが聞こえてくるかのようだ。

 熊野本宮大社は熊野信仰の総本山である。現在の社は丘の上にこぢんまりと立ち、度重なる大水害で被害を受けながらも、本殿自体は難を逃れている。少し離れた場所に、(明治時代の大水害前まであった)元の社「跡」がある。神殿があった熊野川の中洲に位置する場所が整備され、広場として残されている。

 静謐な空間が広がるだけで、とくに何もない。そこに神がいるのではない。そこで神を思う。神などは人間と邂逅できるほど簡単な存在じゃない。そう思うと、なんだかあたりまえすぎておかしくなった。

 熊野は世界的な観光地だ。その「たのしさ」がどのように人々に伝わっていくのだろうか。熊野は「雰囲気」があるし、きっとインスタ映えだってする。偶然その場を訪れたわれわれは、運良くも運悪くも、いったいどんなものと遭遇するのであろうか。

〜2019年11月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂

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新宮市にある神倉神社。人々は巨岩の存在に神を見、その思いを印した。

IMGP9733のコピー

世界遺産にも指定された熊野古道は世界的な観光地だ。


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