再録「あのときアレは神だった」〜丹波哲郎
テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。実在の人物から架空のものまで、昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。
(2015年より、夕刊フジにて掲載)
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総理大臣というのはニッポンのエラい人である。たとえば伊藤博文、たとえば田中角栄、たとえば中曽根康弘。そんなエラい人が97人いる(のべ人数)(当時)。
だが、その総理大臣を映画やドラマなどで演じた人となると数が少ない。その数少ない演者・丹波哲郎(1922~2006年)が今回の神である。
丹波は、雰囲気、オーラ、実際の態度込みで、小学校低学年には本物の総理と信じて疑わせない存在感があった。政治信条や世の中のややこしいことやウハウハのことが分からない子どもたちにとって、ある意味、歴代の総理の誰よりも「総理らしい」偉大な「神」なのであった。
言わずと知れた彼の総理大臣代表作は、映画『日本沈没』(73年公開、森谷司郎監督)である。
小松左京原作の超SF大作で、沈み行く日本の行く末を静かに、そして情熱的に見守る総理を見事に演じ切った(テレビドラマ版の総理は山村聡。歴代総理役回数は2015年現在、いまだに山村がトップである)。
私は小学校のときにこの映画を見た。小学生なりにこの役を演じることが、どんなに難しいことなのかを感覚的にさとった。しかも、そのときの実際の総理は、かの田中角栄だった。
ちなみに、06年のリバイバル版では、総理役は石坂浩二だった。往年のやさ男ぶりを知るオールドファンには、少し腰砕けに映ったような気もする(公開時の総理は小泉純一郎)。
とにかく、総理役は難しい。
後年、キムタク(木村拓哉)が総理大臣を演じた(08年『チェンジ』)。それは、次なる世代にとっての「神」になりえたのか。残念ながら、純な感性を失ったわれわれの世代はそれを論じる立場にはない。 =敬称略 (中丸謙一朗)
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