見出し画像

再録「あのときアレは神だった」〜花沢徳衛

テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。
実在の人物から架空のものまで、
昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。

(2016年より、夕刊フジにて掲載)



先日、うちの近所の自転車屋のオヤジが引退した。1200円のパンク修理を文句も言わず黙々とこなす、いい顔のオヤジだった。

わたしも何度か世話になった。パンク修理で預けておいたわたしの汚いビアンキのミニベロを、見るに見かねて隅々まで磨いてくれた。「あんまりきたねえんで、ついやっちまったよ」と、オヤジは笑っていた。

それからもよく駅への道すがら、そのオヤジを見かけた。わたしはそのオヤジが誰かに似ているなとずっと思っていた。目が合い、あいさつを交わしたその日、照れ臭そうに笑う自転車屋のオヤジの顔を見て分かった。花沢徳衛だ。

魚屋のオヤジや八百屋のオヤジ。ねじり鉢巻がよく似合う、頑固だが心優しくて、個人年金基金なんぞを払う善良な個人事業主。そんな役をやらせたら天下一品。それが花沢徳衛である。

わたしには「八百屋のオヤジ」のイメージがあったのだが、よく調べてみると、実際の出演で花沢が八百屋を演じた例は今のところ確認できていない。

昭和47(1972)年に日本テレビ系列で放映された『パパと呼ばないで』は、石立鉄男の「おい、チー坊」という(のちによくモノマネされた)フレーズでおなじみの人気番組だった。

チー坊(杉田かおる)と右京さん(石立)は、下宿先の(大坂志郎演じる)米屋のオヤジに世話になっていた。

その米屋のオヤジの幼なじみである魚屋のオヤジ、それが花沢徳衛だった。

役名は「金造」。東京の下町(佃島)を舞台にしたこのドラマ。昭和のいい顔のオヤジのダミ声がいまでも耳に残るようだ。

花沢徳衛は1911年生まれ。もちろん、華麗なるキャリアを持つ名俳優だということは百も承知している。だが、わたしが小学生であった72年当時、花沢はすでに還暦を過ぎていた。相変わらずの名脇役として、まるで昔からの「全国の魚屋のオヤジの神」のようなイメージを、ブラウン管前の子供たちに強烈に残していたのであった。(中丸謙一朗)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?