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再録「あのときアレは神だった」〜北の湖

テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。実在の人物から架空のものまで、昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。

(2015年より、夕刊フジにて掲載)



先日、北の湖(日本相撲協会)理事長が、帰らぬ人となった。62歳だった。

現役時代、北の湖は「憎たらしいほど強かった」と言われる。

実際の戦績は、幕内通算成績「804勝247敗(歴代4位)」。横綱になってからの勝ち星は670勝。歴代1位(勝率は.811)。北の湖は、1972(昭和47)年、新入幕。85(昭和60)年まで横綱を務めた。

「憎たらしいほど」というイメージは、あの勝った後の涼しげな目元にあった。倒れた力士に手を差し伸べない「非情」にも見えるスタイルが「不遜」「傲慢」などと言われたが、「自分がそれをされたら、屈辱だと感じる」という信念で、あくまでもクールにそのスタイルを通し、北の湖はいつしか「強く、憎ったらしい悪役」になっていた。

子どもたちはとくに、あの「目元」に、憧れを通り越した「畏怖」を感じた。

わたしが高校生のころ、クラスにものすごい美人がいた。あまりにも手の届かない存在と(かわいすぎてどこかふてぶてしくも見える)涼しげな目元の印象から、多くの男子たちによって「(北)のうみ」という陰のあだ名で呼ばれていた。

1979年、時は大平正芳政権の頃である。

北の湖が活躍していた70年代は、「個性あふれる力士たちの時代」であった。

思いつくままに並べてみても、北の湖の先輩格横綱である輪島、大関・貴ノ花(先代、ハンサム)、魁傑、黒姫山(顔面アイロン)、高見山(元祖ガイジン力士)、増位山など、多くのキャラクターが、土俵の上だけでなく、テレビコマーシャルや演歌界(?)などでもおおいに活躍していた。

なかでも「神々」しかったのは、やはり北の湖である。「憎たらしいほど強い」そんな「神」的称号はそうやすやすとは得られない。ストロングスモウレスラー。クールジャパンの神がまたひとつ消えた。 (中丸謙一朗)


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