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再録「あのときアレは神だった」〜ケー100

テレビアニメ、漫画、スポーツ、アイドル歌手などなど。
実在の人物から架空のものまで、
昭和にはさまざまな「キャラクター」が存在した。
われわれを楽しませたあの「神」のようなキャラクターたち。
彼ら、彼女たちの背後にはどんな時代が輝いていたのだろうか。
懐かしくて切ない、時代の「神」の軌跡を振り返る。

(2016年より、夕刊フジにて掲載)


擬人化が花盛りである。「戦艦」がギャルになったり、「名刀」がイケメン男子になったり。かの有名な『鳥獣戯画』に始まり、古くからさまざまなモノや動物が擬人化されていった。問題は、その「程度」である。

猿がしゃべったり、イルカや馬が人間と同じように感情表現をする(アメリカのテレビドラマの例)というのは、ある意味「順当」である。犬だってイルカだってキジだって、みんな生き物、「僕ら人間の仲間」だからだ。

お地蔵さんや人形や(できそこないの)ロボットが、しゃべったり動き出したりする。かたちが人間に準じているという意味では、これもわからないではない。

だが、汽車が擬人化され、自分の意志を持ち、喜怒哀楽を表現する。「汽車? ちょっと無理じゃね?」。そんな「もやもや」がBGMのように薄く流れていた時分に、この「ケー100」は登場した。

ケー100とは、『走れ!ケー100』という1973(昭和48)年に放映されたテレビドラマ(TBS系)のメインキャラ(蒸気機関車)だ。

カーボーイハットをかぶった、へんにのんきな大野しげひさと一緒に全国を旅し、蒸気機関車というわりにはものすごく小さい、(エビに対する)「桜エビ」的サイズで、自分の意志を持ち、クジラから逃げ、厳島神社の鳥居をくぐり、ハブにタイヤをかまれ、診察されたりもしていた。

擬人化される無機物。ケー100はキャラが曖昧な「オス」な分だけまだ純朴だったが、たしかに「艦これ」への「蓋」は開いた。

英国でテレビシリーズ「きかんしゃトーマス」が誕生したのは84年だが、「ケー100」との関連は、ビートルズの『エイトデイズ・ア・ウイーク』と五月みどりの『一週間に十日来い』との関連同様、詳細は不明である。 (中丸謙一朗)


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