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ハム船長の悲しき一生〜書籍「誰にも見つけてもらえない」より

ビートルズの名曲「アクロス・ザ・ユニバース」が宇宙に送信されることになったらしい。この曲は、精神的な意味での「宇宙漂流」を感じさせる名曲であるが、いくら電波といえどもその曲は、いわば「物理的」に何万光年もの漂流を余儀なくされるわけで、作った本人であるジョン・レノンは、宇宙のどこでいったい何を感じているのだろうか。


第二次世界大戦が終結し、アメリカとソ連は、宇宙開発競争時代に突入することになった。しかし、両陣営とも自分たちが「宇宙旅行」のことをまったく知らないことに気付いた。アメリカの有名新聞が「空気がない場所ではロケットは飛ばないのではないか」と書いた時代。まさに『アクロス・ザ・ユニバース』的エモーショナルな漂流願望だったのである。

そして、自分たちの漂流の前に、まずは生き物を宇宙に飛ばしてみよう。傲慢にも人類はそう考えた。そして、選ばれたのは蠅。フルーツフライと呼ばれるショウジョウ蠅船長は、1946年12月ニューメキシコ州の米空軍ホワイトサンズロケット実験場から、V2ロケットのコンテナで高度170kmまで打ち上げられ、パラシュートで無事帰還し、世界初の宇宙漂流した「生もの」となった。

アメリカ国立保健研究所がスポンサーとなった一大実験の割には、蝉にロケット花火をくくり付けて飛ばしてみるような「少年の瞳」的な発想。あまりにも大人的な派手さに欠けたため、あまり話題にものぼらなかったという。


路地裏から宇宙へ


その後、宇宙への「使者(パシリ)」として、白羽の矢が立ったのは犬である。


宇宙に行った動物としてもっとも有名なのは、1957年11月にソ連スプートニク2号に乗り、世界初の衛星軌道飛行を行ったライカ犬だが、これはなんと、路地裏で捕獲され「クドリャフカ」とテキトーに名付けられた野良犬だったらしい。


以前から、ソ連は「飼い犬よりも孤独に強い」という理由で野良犬を実験に使用することが多く、1951年9月には懸命に訓練した犬に脱走され、近所をうろついていた野良犬を急遽「宇宙犬」に仕立てたこともあったらしいが、このライカ犬もモスクワ市内で捕獲された雑種の野良犬だった。ライカというその伝説的な名前は、野良犬ではあまりにも外聞が悪いので、ソ連当局がロシアン・ライカという犬種であったと発表したからだと言われている。


ライカ犬は大気圏への再突入ができない宇宙船に載せられていたため、再突入前に毒殺されたと言われていた。しかし、重量制限がある宇宙船に毒殺用の餌がわざわざ積まれるとは考えにくく、動物愛護団体による強烈な批判をかわすためのソ連政府の方便と考えられた。事実、ソ連崩壊後の1999年頃には政府関係者から飛行4日後に熱放射の欠陥による温度上昇で死亡したという情報が出され、2007年には計画に関係していた技術者から飛行数時間後にはストレスと熱で死亡したらしいという見解が発表されている。今でも真実は闇の中だが、モスクワの路地裏からいきなりロケットで人類未踏の宇宙に放り込まれた犬にとっては、「ちょっと頼むわ」どころの騒ぎではない、あまりにも理不尽な災難と言うほかない。


類人猿宇宙に行く


この動物による宇宙実験の分野でソ連に大きく水をあけられたアメリカは、国民にアピールするためにもソ連に負けないインパクトのある動物によるロケット打ち上げ計画を行わなければならなくなった。そこで、「キミいいカラダしてるね。行かないかい?」と、アメリカに「勧誘」された、次の生き物は猿であった。


1958年12月、アメリカはジュピターAM-13ロケットにゴードーという名の南アフリカ産のリス猿を乗せ、ケープカナベラから約500kmの高度を2000km以上飛行させて南大西洋に着水させる計画を実施するが、パラシュートが開かずにゴードーは死亡。ところが、着水直前までゴードーが生存していたことを理由に計画は成功と発表し、続く59年5月にはジュピターAM-18ロケットにアカゲ猿のエーブルとリス猿のベーカーを乗せて打ち上げ、今度は無事に生還させることに成功した。

この話にはオチがつく。無事生還したはずのエーブルが、医療用の電極を除去する手術中に事故死するという事態に見舞われた。そのため、訓練中の宇宙飛行士候補たちからは「宇宙旅行よりも医者の方が危険だ!」と皮肉られたらしい。


彼らの漂流はまだ続く。1961年1月には高度な訓練を受けたチンパンジーのハムが、マーキュリー計画の一環として、マーキュリー・レッドストーン2号ロケットで大気圏外を飛行し、無事に帰還する。彼は霊長類初の「宇宙飛行士」として雑誌「タイム」の表紙を飾り、「ハム船長」と呼ばれ、全米で大人気となった。このハムの人気のために宇宙飛行士候補たちは「君らの仕事は猿でもできる」と言われて憤慨したらしいが、もちろん、このエピソードに対するハム船長のコメントは残っていない。


ハム船長は宇宙から帰還後、ワシントンDCの国立動物園やノースキャロライナ動物園で飼育されたが、長期間人間から訓練を受けた影響で他のチンパンジーと馴染むことができなかった。その知名度の高さから来園者たちからは愛されたが、仲間からは相手にされず、生涯「独身」の悲しき生涯を過ごした。彼の宇宙旅行はわずか16 分39秒、そのために人生ならぬ「猿の一生」を狂わされたと言える。


その後、宇宙飛行は動物から人間が主役の時代へと移っていくのだが、こうした宇宙開発黎明期に宇宙漂流を余儀なくされた動物たちはこれ以外にもたくさんいた。有人宇宙飛行のためには必要な動物実験であったのは間違いないが、当の動物たちにとって、それはどんな意味があったのだろうか? 


僕らはいったいどこへ向かい、何をしようとしているのか。人類の『アクロス・ジ・ユニバース』な漂流願望とその到来を予感させる本格的な「宇宙観光」の間には、数々のヒーローたちが眠っている。


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