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(第34回) 下北半島・仏ヶ浦 『飢餓海峡』(水上勉著)の旅


 仏ヶ浦は青森県の下北半島、鉞(まさかり)の刃の部分に当たる海岸線にある(下北郡佐井村)。凝灰岩を主とした岩肌が長い間の海からの侵食を受けた結果、奇異で壮観な断崖絶壁を生んだ。別名、仏宇陀(ほとけうだ)。広大な海岸線のところどころにある奇勝を浄土になぞらえ、「如来の首」「五百羅漢」「極楽浜」などの名で呼ぶ。

 その景観の全体像は、海上からしか把握することができない。また、崖下への交通も、近くに車道を通せないため、15分ほどかかる歩道でのアクセスに限定される。仏ヶ浦南部の脇野沢港(むつ市)、あるいは北部の佐井港から定期観光船が出ており、「僻地」にもかかわらず、多くの観光客が訪れている。

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下北半島「仏ヶ浦」。ある宗教家はこの異郷を「霊界の入口」と称した。


 仏ヶ浦を舞台にした有名な小説がある。水上勉の『飢餓海峡』(新潮文庫)である。

 1954(昭和29)年に実際に起こった青函連絡船洞爺丸遭難事故(台風15号による座礁・沈没により1千人を越す人命が失われた海難史上空前の大惨事)を題材に、事故発生当日、波濤荒れ狂う海峡で発生した殺人事件を軸に据え、人間の業や宿命を描ききった長編ミステリーである。のちに内田吐夢監督により映画化され、主人公樽見京一郎(犬飼多吉)を、若き日の三國連太郎が演じた。

 犯人の行動を映し出した仏ヶ浦の印象的なシーンがある。

 「この仏ヶ浦の巨大な岸壁に陽が照っていた。崖裾では波が塩をふりかけたように砕けていた。その海を右に見ながらとぼとぼと歩いてくる一人の男がいた。(中略)六尺近い怒り肩の体躯が、いかにも、背後の原始林からとび出してきたばかりといった印象をあたえた。この男は、復員服を着て、雑嚢をさげていた。ときどき、片足を岩角にもちあげていっぷくしたが、そのたびに、男は大きく息をついて、北の光った海を眺めていた。」(本文より抜粋)

 とくに具体的なことは描かれていないのだが、小説と同じ映像世界のなかにいるという微かなる高揚感が心地よい。生や死を、業や宿命を、ストレートに感じさせる「仏ヶ浦」という響きのなせるわざなのかもしれない。

 私は全景を見るために、牛滝という小さな港から小さな遊覧船に乗った。その日はあいにくの天気で客は私以外にはいなかった。

 しばらくすると、目の前に荘厳な奇岩の景色が現れてきた。「こっちのほうがよく見える」と船首のほうに手招きをしながら、よく日焼けし、ほっかむりをした船頭のおばちゃんが元気よく話しかけてきた。

 「みなさん、ここの景色を観て、この前見てきた海外のどこそこに似ていると言うんです。でも、わたしはこの村から一歩も出たことがねえからよくわからんです」と言った。私が、「仏ヶ浦は『飢餓海峡』の舞台ですね」というと、それも昔お客さんに教えてもらったと言った。

 仏ヶ浦は自然によって形作られた単なる絶壁だ。その「ぶっきらぼう」な景色にそれぞれの人がそれぞれの思いを馳せる。

 遊覧船から降り、海岸線を散歩した。小説の主人公は陸奥湾を小舟で渡り、この仏ヶ浦にたどり着いた。そう思うとここは流れ者がたどり着くのにふさわしい場所だ。足元に広がる大量の髑髏(しゃれこうべ)のような岩が、どこかに置いてきた「青春の残骸」のようにも見えた。

 仏ヶ浦で心の光を観る。映画『飢餓海峡』のモノクロフィルムが映し出した、色彩の薄い仏ヶ浦の映像世界。

 帰路ひと言も喋らず海岸線を眺めた。港に着いた。自分しか乗っていない船を降りると、雲の合間から色鮮やかな太陽が顔を出した。

〜2020年4月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


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展望台から覗き見る仏ヶ浦の全景

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