(E)naは変なおじさんの夢を見るか

(E)na / 岡村靖幸のMVを見ていつも思うのは志村けんである。
ダンス、表情の至る所で、志村けんの残像が重なる。
実際のところどうなのだろう?

志村氏は相当な音楽ファン、ブラックミュージックマニアであるという。テレビで自分からそういったことを語るのは殆どないようだけど、レコードコレクションも凄いらしく、若いころはジャムという音楽誌に寄稿したこともあるようで、本当に好きなんだろう。

そういえば子供の頃、「変なおじさん」の振り付けの真似をしようと試みたがなんだかうまくいかないという経験をした。どうも本人のあの感じにならないのだ。
あとから気付いた「あの感じ」の正体はスウィング感だった。
ストレートで単純な動きに見えて、キビキビした動きの中にゆったりとした別のスウィンギーな流れがある。「変なおじさん」の最初の振りはまだいいとして、二番目、三番目の動きが難しい(自分がセンスがないだけだろうけど)。

動きに複層的なものを感じるといえばブラックミュージックにおけるダンスだ。

ジェームズ・ブラウン。

古いスタイルのファンクやソウル系のバンドでコーラス隊が曲に合わせてダンスもするけど、その時、手の振り、腰の振り、足のステップでそれぞれ違う周期を繰り返してたりする。2分、4分、8分とか。ゆったりした動きと細かいリズミックな動きが同居している。
JBになると、あの強烈な動きを見る限り、更に16分、32分が加わるんじゃないかなんて思ったりもする。もちろん重要な1拍目の周期もあるだろう。

ダンスは結局どうしようもなく溢れてくる律動の表現なんだと捉えると、あのJBの奇妙で情熱的な動きもなんだか理解できるような気がしてくる。
複層的な流れを全てひとりで表現しようとするとああなるんだと。
マイケル・ジャクソンに強い影響を与えたJAMES BROWN LEGSという動きも、スローモーションのような流れと、細かい動きが合わさった複層的なものだ。

複層的なリズムというと、ポリリズムがある。定義としては異なる拍子が同居するリズムで、単なる偶数のビートはそれに含まれないのだけど、それぞれ1、2、4、8、16の周期が同じ物差し上の強弱で表現されるとは捉えず、別の階層で独立しているビートとして捉えると、ポリリズムに近いものがあるんじゃないかと思ったりする。JBのダンス表現を見るとそう感じる。

ところで志村けんバージョン「ウンジャラゲ」における画面右の松本典子の動きはどうだろうか?キビキビとしていてビートを外していない(左のいしのようこはやる気が無いと言われているけど、そもそもビートがとれないのかもしれない)。でも志村けんとはちょっと違う印象だ。松本典子はすごく単層的なストレートないわゆるタテノリという気がする。これはこれで力強いから面白い。
自分もどちらかといえばこっちのタイプで、あれこれ理屈をこじらせても、ブラックなノリはまあできないものはできないし、本能に従うのが正しいのだろう。ダンスというものはそういうものだ。本当のダンスは自分次第だぜ。
……はぁ、何の話だったか。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?