愛とリスペクトと自由の恐怖
愛は厳しい。
リスペクトは厳しい。
どこまでも果てを見たい、限界まで行きたいと願ったからこんな人生になったんだ、きっと。
私の願いは叶ってる。
リスペクト。
その人格、その意志に対する敬意。尊重。
その選択がゆるされているということ。
ゆるされた結果今があるということ。
精神障害や認知症など、適切な(当人にとって不当な搾取や損害を被る状況にならないための、有益な)判断、意思決定が難しいと第三者的に判断されるような場合、後見人がつくなどの制度があったりする。
子供も、基本的には同じ。
未「成年」の概念も、あくまで法的な意味だけど、同じ。
意志決定能力と、それに伴う結果への責任能力があるかどうかってこと。
魂というものがあるとしたら、すべての魂は自由意志をゆるされていると思う。
「ゆるす」というよりも「是」。
是是是是是是…肯定しかない。
「在る」しかない。
逆に言えば、「在る」ものはすべて「是」。
戦争も殺人も引きこもりもアンチもお金も森も夢も人間も絶滅も排泄もケーキもりんごも物理学も幸せも結婚も電池もレイプもいちごも放火も全部が、是であり、無。
ぜんぶが例外なく「いい」のであれば、「いい」という言葉の意味は失われる。
「全部いい」なら、「いい」に意味などない。
「無」だ。
「全部いい」は「無意味」と同じことなのだ。
否定がないというのは、ジャッジがないということ。
ジャッジがないというのは、二つに分けないということ。
そして、分けるための基準(線)そのものが外側には存在しない(と知る)ということ。
判断しないということ。
何も判断しない、言わない。
良いとか悪いとか、言わない。
言えない。
基準がないから。
ジャッジがない、ということを、「優しい」のように捉える人が多い気がする。私はそうではない。ジャッジがない世界は「厳しい」。
外側になんの基準もなく、依って立つところもなく、お墨付きをくれる人もなく、経典も歴史も文化もなく、全部自分で決めなくてはいけないから。
というよりも、自分で決めているということを認めなくてはいけないから。
既に、今までも、ずっとそうだったと認めなくてはいけないから。
あれがいいとか、これはよくないとか、外側に基準はない。
その中で、宇宙の無重力空間に投げ出されたような感覚の中で、四方八方に何もない、目印がない中で、自分で決め、進んでいく。
どう見るか、どう感じるか、どう解釈するか。
その選択の自由がゆるされている。
無限に選択肢がある。
何もない中で。
それがジャッジがない世界だ。
頼れるのは、というか信じるべき、尊重すべきは自分だけ。
自分の感覚だけ。
いい悪いではない、「私はこっち(を選ぶ)」という意志だけ。
その理由だってなんでもいい。
いい悪いはない。
それを選びたいからだけで充分だ。
どんな意味付けもすべては無意味なのだから。
もしくは、
あなたの意味付けがすべて。
恐怖ですらある。
自由とは恐怖なんだと思う。
マスコミが、親が、こういう情報を伝えてきて、自分は信じた、ということもできる。
でも、「マスコミが、親が、こういう情報を伝えてきて、自分は信じ」るという選択肢を選んだともいえる。
あなたの意志で。
どこまで遡れば明確に、意識的に「あなたの意志」と言えるかはわからない。
でもそこから逃げることはできない。
つまり、この「自由」に逃げ道はないのだ。
この「自由」から逃れる「自由」、「選択肢」はない。
「自由」とは「事実」だからだ。
ジャッジがない、否定がない世界においては、なんでも選べる。
なんでも選べるというのは、なんでも選べる選択肢の中からそれを選んだのは自分の他にいないという事実が確定しているということ。
私が選んだ、自分で。
あなたが選んだ、自分で。
人のせい、誰かのせい、何かのせいにはできない。
他に基準はないから。
こうしたらいいよ(こうしなさい)と、決めてくれる人はいない。
命令し、手をとり、教え、導き、強制してくれる人はいない。
責任の幾分かを委ね(押し付け)るべき、それが可能な相手や対象、可能性がない。
私が決めるのであって、あなたが決めるのであって。
それは今までもそうだったしこれからもそう。
私たちには自由意志がゆるされていて、選択の自由がゆるされている。
すべてだ。
「そっちはダメだよ」と、誰も言ってくれない。禁止してくれない。
私たちは自由だからだ。
意志に対するリスペクトが守られているから。
自分で考え、決める判断能力があるという前提で、ゲームは動いている。
愛に、人格、その人固有の意志に対するリスペクトは不可欠だと思う。
それがない愛は愛ではないと思う。
ただ、その愛は決して「優し」くない。
どこまでも自由でどこまでも厳しい。
「厳しい」と言っても、別に罰されたりはしない。
咎められたりもしない。
いつまで待っても何も言われない。
ただ、どこまでも、ノンストップで、進んでいけるだけ。
叱られないのだ。
叱られたい、止めてほしい、と思う。
それが甘えだと知る。
ここは自由。
愛でできている。
個人の自由意志、自由選択が完全にゆるされている。
その人がその人の意志で、どこまでもいける。
罰されることはないが、責任は負う。
問われたりもしない、ただ、その結果を自分が受け取るだけ。
あなたは何をしたいの?
どこに行きたくて何が好き?
どれを選んでもいい。
それを選ぶのはあなただけ。
選ばないという選択も選べる。
そして結果を受け取る(何もかもすべてが記録として残る。例外はない)。
それが愛、それが自由、それがリスペクト。
誰にも裁かれない。
だから後悔しないように。
これも似たようなこと書いた。
ふと思い出した。よかったら読んでみて。
ここから先は
¥ 200
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?