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ボドム湖殺人事件

チルドレンオブボドムのバンド名の由来 ボドム湖殺人事件

 今回紹介するのはフィンランドで起こった事件です。メタル好きの方ならフィンランドと言えばChildren Of Bodomチルドレンオブボドム、略してチルボドが思い浮かぶ方も多いと思います。チルボド解散後もBodom After Midnight ボドムアフターミッドナイトというバンドで活動していましたが、残念ながら去年12月29日にフロントマンのアレキシ・ライホが亡くなり、その活動も終了してしまいました。

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 ちなみにチルドレンオブボドムの名前の由来ってご存知でしょうか? フィンランドのエスポーにボドムという名前の湖があり、メンバーはそのエスポー出身なんですが、バンド名を決めるために、地元の電話帳を見ていたそうなんです。その時にボドムという名前にピンときて、また今回お話するまさにそのボドム湖でおこった猟奇的殺人事件に触発されてそれをバンド名にしたんだそうです。

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 ボドム湖殺人事件はフィンランド史上、最も恐ろしく印象的な未解決事件として未だに語り継がれている事件です。
 時は1960年6月5日、15歳の少女二人、マイラ・イルメリ・ビョルクルンドアンヤ・トゥーリッキ・マキ、そして18歳の少年2人、セッポ・ボイスマンニルス・グスタフソンの4人は、ボドム湖の南、少し半島みたいになっている場所で一晩キャンプをすることにしました。

 翌朝6時、釣りをしにきた親子がテントのそばを通りかかります。父親やその異様な光景に思わず息子の目をかばいました。なぎ倒されたテントは血だらけ、そこには動かないいくつかの体が不自然に重なるように横たわっていたのです。
 数十か所のナイフによる刺し傷と、あごの骨が粉々になるほどつよく鈍器で殴られたことが原因でマイラ、アンヤ、セッポの3人は息絶えていました。マイラへの暴行は特に深く、下半身は裸にされていました。その中で唯一ニルス・グスタフソンのみ、まだ息をしていました。
 ただちに病院に運び込まれたニルスも酷い外傷を受けていました。あごの骨は折れ、頬の切り傷から中の歯が見えるほどでした。また、あまりのショッキングな出来事に、彼の記憶はほとんどと言っていいほど残っていませんでした。

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 60年代の話ということもあって、今より捜査がずさんだったというか、あまりにも平和な地域なので(実際当時の犯罪率はとても低いものでした)どう捜査したらよいのかわからなかったのか、次にとったフィンランドの警察の行動は多くの批判を受けています。彼らは自分たちの捜査員と大騒ぎとなった地域の住民たちを誰かれかまわず、現場に入れたのです。つまり大勢の人間が現場周りをうろついたのです。それは証拠を探すためでしたが、ここで大事な証拠を逆に抹消してしまう可能性もあり、懸命な判断だったとは言えません。
 実際にこの事件は未だに未解決なのです。それでは一体誰が犯人なのか、ぜひ推理しながら読んでもらいたいです。

 テントの中に残されたマイラの日記には夜中の2時までみんな起きていたと記されています。そして二人の少年はお酒を飲んで酔っ払っていたと記してあります。殺人はおそらく午前4時から午前6時の間に行われました。おそらく4人は寝ていて、犯人はまず、テントのロープを切り、テントは四人の上に崩れ落ちた、その状態でテントの上からナイフを刺したとみられます。アンヤとセッポの遺体はテントの中でした。事件の悲惨さを物語る当時の血だらけのテントの写真があります。

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 犯行に使われたナイフなどは未だに見つかっていません。現場からはセッポとニルスの靴だけが消えていました。どうやら犯人はニルスの靴にわざわざ履き替えて犯行を行ったとも思えるんです。なぜなら、後日現場から500m離れた場所からみつかったニルスの靴には血がついていたのです。
 翌朝釣りにきた親子以外にも、その日の早朝、現場近くを訪れていた人はいて、その内の二人が、金髪かそれに近い明るい長めの髪の男性が南に向かって歩いているのを見かけたと証言しています。
 また現場近くからは奇妙な枕カバーを輪ゴムでしばったものが発見されており、それには数人の血液と精液が検出されましたが、血液は不明、精液はセッポでもニルスのものでもありませんでした。
 4000人の人物が事情聴取を受け、その中でも特に妖しいとされたのが3人の男性でした。
 一人目は被害者であり、唯一の生存者であるニルス本人でした。酷い傷を受けていましたが、セッポに反撃されて受けた傷かもしれません。友人らと何らかの理由で喧嘩になりカッとなって殺してしまったのか。捜査員は記憶の戻らないニルスに催眠術をかけ、記憶を取り戻させようと試みました。その時に彼は、犯人の男の顔を思い出したといい、その特徴をもとに似顔絵が作成されました。目と唇の大きい特徴的な顔でした。ちょっとこの話を覚えていて欲しいです。
 事件から45年後、2004年ニルスは一度逮捕されますが、証拠不十分で無罪になり、国は彼に約530万円を支払いました。

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ニルスの証言をもとにして作成された似顔絵と被害者の葬儀中にとられた写真の中の詳細不明の人物


 二人目の容疑者はカール・ジルストロームという近所でキオスクを経営していた中年の男です。彼は近所でも非常に有名な頑固おやじで、若者と子供たちが大嫌いでした。自分の家の近所でうるさくする子供たちに石を投げつけたり、キャンプで騒ぐ若者たちのテントを切り付けることも度々ありました。また酷いアル中でもありました。彼は1972年にボドム湖に身を投げて自殺してしまいます。その時に遺書として、あの子たちを殺したのは自分だと記したのです。しかし、あの晩は一晩中一緒に家に居たと妻が証言し、うやむやになってしまいます。


 3人目の容疑者はハンス・アスマンという近所に住んでいたドイツ人です。なぜ怪しいかというと、事件当日両手が土にまみれ全身血まみれの男が病院にふらふらやってきたというのです。彼は意識がないようにふるまったり、自分のアイデンティティーをなかなか明かさなかったりしたので、病院は怪しく思い警察に届け出ました。警察は彼の服についた血痕を調べるべきでしたが、さっきの言ったようにあまり使えない人たちだったので、この件を詳しく調べなかったのです。
 また、湖の近くで長髪の男が目撃されたとニュースに報道された直後髪を短く切っています。そしてその目撃者が描いた似顔絵があるのですが、その似顔絵と、ニルスの記憶をもとにして書かれた絵と、このハンス・アスマンがそっくりなのです。ものすごく特徴がある顔なのに、ちょっとぞっとするほど似ているのです。
 彼は他の未解決事件の現場の近くにもいたりして、かなり怪しいのですが彼はKGBソ連国家保安委員会の諜報員だからという外交的な理由から警察は彼を逮捕できなかったという噂もたっています。

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    似顔絵によく似ているハンス・アスマン


 今でも毎年事件が起こった6月5日になると、この場所でキャンプをする人がいるようです。追悼のためか、怖い物みたさか。CAT

【デスラジオ E93 2021年4月10日配信】


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