⑨観測されるあちら側/inside

 白い部屋だった。ホワイトホールがあるのだとしたらこんな感じだろう、という白さ。僕はそこにぽつんといる。そして同じようにヘッドホンのようなものがある。シンプルな造りで、丸が二つと放物線が一つ。機能美は、ある。それは認める。認めると、我慢していた吐き気が一気にこみ上げる。のどもとまでせり上がる。このとってつけたような、白いことしか取り柄の無い白さ。

 だからこの空間が僕は嫌いなんだ。

「セット完了」

 僕はヘッドホンのようなものをつける。これは正確に言えばヘッドホンではない。

「家でちゃんとタマクラはつけていたか?」

「そんなの調べればすぐ分かるだろ」

 頭上のスピーカーから以遠さんの声が聞こえる。彼女の言い方に僕はいらいらしてぶっきらぼうに答える。

「確かに。しかし私たちにとってはそれこそ死活問題なんだ」

 君にはその自覚があるのか? と声。「ないよ」と僕の心の声。

「君が頭で考える。虚構を作り出す。そしてそのタマクラが君の作り上げた虚構を吸い上げる。仕上げに私たちがそれを」

「世界中にばら撒いて、誇大妄想家の妄想を僕の妄想で塗りつぶすんだろ」

 僕はそのやり取りにため息をつく。過去幾度となく繰り返したことだ。

「誇大妄想家なのは認めるがちゃんと呼称する癖をつけた方がいい、君は」

以遠さんはあきれたような声で言う。ため息がスピーカーから僕に降り注ぐ。

「ユピテル」

 と僕は言った。そうだ、と以遠さんの満足そうな声が聞こえる。思えばこの人も暇な人だよ。

「ユピテルは敵だ」

 彼女は冷静に、静かな口調で断言する。

「連中の目的は?」

 沈黙。僕は重い口を開く。

「せかいせいふく」

「十七点だな」

 以遠さんは続ける。

「連中の目的は虚構を集めることだ。世の中に散らばった雑多な虚構だ」

 以遠さんの声には若干こわばっている。

「連中が何のためにそんなことをしているかはわからない。しかし世の中には虚構が必要なんだ。虚がなければ実もない。嘘がなければ本当が本当なのか分からない。虚構が減り続ければ私たちのいる世界は」

 意味消失してしまうだろう。そう以遠さんは一度深く呼吸してから一息に言った。

「影のない人間は存在できない」

「そういうことだ」

 愛のない声が聞こえる。黒星さんだ。

「お前の仕事は虚構を生み出して、世界に一定数供給すること。簡単な仕事さ」

「それで、ユピテルの尻尾はつかめたの?」

「だまっとけ」

 苦虫を噛み潰したような顔を、黒星さんはしているだろう。

「連中はまったく姿を現さない。幽霊みたいなやつらだよ」

「幽霊にだって本当は影の一つや二つあるはずだ。なら必ず存在する」

 自分の虚構を回収していなければだけどな、と以遠さんは言った。

 僕は僕のイメィジをイメージする。自己投影を自己に反映する。これは誰もがやっていることだ。授業中居眠りしながらでも、うつろな酒を傾けていても、夜道を這っていても、誰かしらどこかで経験があることだ。

偶像インマイヘッド。もちろんそのアイドルは僕だ。鏡の中で複製され消えない声によってよみがえる。

「いいな」

 以遠さんが僕に合図を出す。

「さっさとやってくれ」

「よし」


 以遠さんがそう言った後、僕の周りで音が去った。無音。途端に世界が広くなった気がする。孤立している。僕はそう思ってしまい、さみしくなる。しかし、やがて、僕は僕の内側の音の存在に気付く。騒々しくそれは鳴っている。心臓の鼓動が僕を内側から動悸付ける。お前のアリバイは俺だ、と。ごつごつと笑っている心臓。そうだよね。

「いづれ消え去るならいっそのこと燃え尽きたほうがいい」

 昔僕のお父さんはそう言っていた。それは確かな記憶だ。彼は僕と母さんを残して勝手に死んだくそ野郎だけど、その意見には賛成してしまう。血が通っているから? そうかもしれない。でもあまりそうであって欲しくない。

 僕は心が饒舌に鳴っていくのを確かに感じている。かまわない。それでいい。いきおいが大事なんだ。ダムを破壊する水しぶきのように、僕の中で言葉と記憶と想いがせめぎあっている。協調性のかけらなんてまるでないそれらは、僕という器を飲み込もうと、あわよくば全て飲み込もうと、画策している。それを静かに手のひらで受け止める。

 善人、偽善者、悪人。仲間はずれは誰なのか。境界線はどこにあるのか。誰なのか。いちばんブッているやつがそうにはちがいないが。そいつを殺せ。できれば斧で。

 破壊衝動に身を任す。歪に心地よさを見出す。ノックする。ドアノッカー7だ僕は。もちろん破壊力抜群の。

 そして静かにいなくなってしまえ。お前は児戯に等しい絵の具の染みなのだから。

僕は僕の内側が僕を侵食していく様をいちばん近いところで観戦している。どっちがどっちを侵食しているかなんて明白だ。水は低い方に流れるんだ。水が流れた先には何があるのか。僕はそれを眺めている。上のほうから見ている。大地に水が溶け込む。ガイア以外は外野だ。引っ込んでろと言いたくなる。

「順調だ」

 と以遠さんが言う声さえ僕には届かない。と届いているのだが「僕」には届いていない。以遠さんの声を聞いている僕は外側の存在。僕の外側の存在。説明を求められる存在だ。僕は理性的でなければならない。誰よりも何よりも。僕の冷静さは際立つ。戦場の中でピアノを引いてしまうくらい物事をよく分かっている。僕はラプラスの悪魔とも友達だ。知ってるよ何でもね。

 ぶつぶつとつぶやく僕の独り言ががやけに耳に障るだろう? こいつには名前が無いんだ。だからうるさく感じる。知らないやつのたわごとほど耳障りなものはないさ。だから「僕」の名前を教えてあげよう。彼の名前はフォガティという。それ以上でも以下でもない。愉快な存在。


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