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第3回:アニメ「ダイナミックコード」第1話に詰め込まれた情報量について

2021年のつむぎ君の誕生日(&アニメ最終回の放映日)に記事アップしようと思っていたらもう10月です。
だいぶ遅くなりましたが、vocalCDシリーズ2ndの全作品発売おめでとうございました。レヴァフェの新曲は、亜貴ちゃんの過去を受け入れるプロセスが一生終わらなそうな雰囲気がわかって良い歌詞でした。
あっぽりが初のKuro作詞曲だったので、もしやKYOHSOは篠宗が作詞を?と予想していたら作詞作曲はいつもの2人でしたが、あたたかい曲調に乗せて一生消えない後悔を歌う、「precog」とはまた別の方向でしんどい曲になっていましたね。やっぱりKYOHSOは一番先を行く存在なのだと実感できて良かったです。Liar-Sは千哉ED3の空気感も含まれている気がする歌詞になっていて、千哉ED3とても好きなので嬉しいです。
ゲーム版のサントラ&カバーアルバムも発売決定おめでとうございます。

さて今回は、本日10/5に放映5周年を迎え、ニコニコ動画では120万再生超え、自分でも50回くらいは観た気がするアニメ版の第1話「Spring rain」に詰め込まれている「原作要素」について、KYOHSOメインに記していきます。アニメだけ観ると不思議に感じられるシーンも多い作品ですが、原作をプレイする事によって驚くほど合点がいく構成になっています。
とりわけ第1話は、このアニメが原作をふまえたストーリーであることを示した意思表明の回で、ラストの引きも素晴らしいうえに印象的な次回予告まである、いちアニメーションの第1話としても大変理想的な内容です。

●前提について
円盤のライナーノーツなどによると、ダイナミックコードのアニメは「ドキュメンタリー番組」として制作されたものであり、ひとつの楽曲が完成するまでの過程を描いています。彼らにはリアルの生活があったうえでの「ドキュメンタリー番組」なので、多少は脚色されているものと考えられます。
我々ユーザーにとっての現実世界に対して、キャラクターの世界をどの程度リンクさせるのか、とりわけ乙女向け作品に於いては永遠の命題です。ここ数年はコロナ禍によって各コンテンツの指針が顕著にあらわれ、私が知っている範囲でも「サンリオ男子」「ARP」などのキャラクターは我々の現実と同じように生活様式を変えていました。「ダイナミックコード」もその姿勢を見せた作品です。リモートお誕生日会とかしてましたね。
いかに作品の世界観へ浸らせて投資させるかという戦略に留まらない、2次元の在り方を提示していくコンテンツのひとつとして、使命感すら持っているように感じています。(あえて作品内にコロナ禍を反映させないタイプの作品もあって、それはそれで心の支えになりました。)

●アニメに宿るダイナミックコードのスピリット
アニメ版を担当した影山監督には「キャラクターに多くを語らせない」意向がありモノローグもほぼないため、初見では伝わりきらない部分もあります。それこそが原作ゲームで多種多様に描かれている「すれ違い」です。アニメ版には「ダイナミックコード」という作品自体の根幹となる精神が宿っており、相手(キャラクター)を知りたい、理解したいと思うことが、彼らとの世界を広げていく仕掛けです。
大げさな、と思うでしょう。ゲームをプレイしてみてください。アニメに繋がる台詞や場面があちこちに出てくるので、進研ゼミでやったところだ状態になります。
原作のKYOHSO編・依都ルートに出てくる主人公の台詞がまさにそれです。

『私、まだ依都さんの事を何も知りません。知らないから知りたいんです』

【以下、原作ゲームのネタバレを大いに含みます。ご注意ください。】

原作ゲームは現在、PC版・スマホ版ともにアニメイトゲームスでDL販売されています。スマホ版に関してはDL用の物理カードも販売されています。アニメイトゲームスでスマホ版をリリースしてくれたおかげで今の私があります。
バンドごとに分かれて発売されており4作とも全部おすすめですが、アニメから入った人にはとりあえずレヴァフェ編(DYNAMIC CHORD feat. [rêve parfait])をおすすめします。未プレイの方は是非購入のうえ隅々までプレイされて下さい。

●「DYNAMIC CHORD」と四季の関係性
アニメは全12話、4つのバンドを各3話ずつに分割して描かれており、それぞれに春夏秋冬を重ねた構成です。トップバッターとなる第1話〜3話まではKYOHSOパート。雨模様の桜並木から始まります。
バンドごとの四季の割り当てがとても的確で、ゲームを全作プレイした後でようやく「なぜアニメで四季を重ねて描いたのか」そこに合点がいきます。

・春:KYOHSO 原作:亘の死んだ季節
・夏:Liar-S 原作:夏フェスでの再起
・秋:apple-polisher 原作:ハロウィンライブでの再起
・冬:[rêve parfait] 原作:クリスマスライブ成功からのメジャーデビュー決定

そして、四季が巡る=その1年間、全員が生きて、ダイナミックコード社で、音楽を続けていたということです。
アニメ第1話の中で各バンドのライブシーンがありますが、その光景が叶う未来に居るということ、解散もしなければ誰も死ななかった未来に。
アニメの中では、四季と原作エピソードとの関わりについてほとんど説明されていません。多くを語らずにストーリーを描いていく影山監督の姿勢を感じますし、このnoteの第1回で書いたように「キャラクターの人権」を尊重した結果だと思います。第3話に出てくる「美談にもできるスクープを捨てた」という台詞は、ダイナミックコードのアニメそのものをあらわしており、各キャラクターの過去エピソードを"ネタ"として使用せずにストーリーが描かれています。

過去の哀しい出来事をアニメで描かなかったのは、彼らの個人としての気持ち、もっと言えば"人権"を大切に扱うという姿勢なのだと思います。
また、原作では彼らが過去や苦悩から前進していく姿をハッピーエンドとしているため、過去に囚われすぎない彼ら自身をあらわしているとも捉える事ができます。

とりわけアニメ第1話にはあらゆる情報がそれとなく大量に詰め込まれています。本当にそれとなく、しかし全てのシーンに意味があるのではと感じられるほどです。

●KYOHSOというバンドについて
まず大前提として、現在のKYOHSOというバンドそのものが"亘が死んだ世界で奏でる音楽"という側面を持っており、亘は今でもKYOHSOの音楽に欠かせない存在であるという解釈がベースにあります。
vocalCDシリーズ2nd新曲の「CRY OUT」を聴いて改めて思いましたが、亘はKYOHSOの一部として生き続けており、亘を生かす手段として「KYOHSO」というバンドを存続させていく面もあるようにすら感じます。
依都たちは常に真正面から過去と向き合いながら、生き続けて、音楽を続けている。

春、亘が死んだ季節、そこに重なる少女の死。また何もできなかったことへの後悔。音楽で心は救えても、命までは救えない。依都さんが呟く『俺は誰の為に、何の為に歌っていたのかな』という悲壮は、ゲーム内での"バンドが大きくなるほど自分たちの音楽が誰に届いているのかわからなくなる"ことも連想させます。
アニメ内でも"原点"の象徴として出てくるライブハウス・VIVIANITEは、KYOHSOがインディーズ時代も含めてライブしていた場所で、その頃はお客さんの顔が見える規模で音楽をしていた。今では世界ツアーを開催できるほどのバンドになった一方で、見えなくなったもの、出来なくなったこと。抱えていたあらゆる葛藤が、ひとりの少女の死によって鮮明になっていきます。

アニメKYOHSO編のラストエピソード、第3話の終盤に依都さんがアカペラで歌う「because the sky...」は"レクイエム"として作られたことが円盤付属ブックレット内で語られています。(時明がレクイエムとして作曲し、そこへ依都が作詞している)
依都が亡き少女のために綴った詞であると考えられますが、元々KYOHSOの曲には亘の存在を想わせる歌詞が多く、依都がいかに過去への後悔と共に生きているか伝わってきます。
余談かつ憶測ですが、アニメ内でピアノが登場するシーンに関しては、「precog」のpiano ver.で依都がピアノを演奏していることに関連しているのではないかと考えています。「precog」はラブバラードにもレクイエムにも聴こえる曲で、更にあの喪服のようなジャケット写真。そして原作ゲームにおいてピアノといえば、香椎亜貴。夕星もそうですが、いずれもゲーム版では死にまつわる存在です。

●依都と玲音の関係性① Roots of Life
第1話の中ではKYOHSOの「Roots of Life」が幾度となく演奏され、失踪した依都さんの代わりに玲音が歌っているのですが、この繰り返される演奏シーンにも原作ゲームに通ずる部分があります。

『俺の何が変わったのか? あいつにはもう会うこともないけれど 深く傷つくほど心揺らさなきゃ生命の意味がないさ だから声を失くしても叫び続ける』

玲音が代理で歌っているこのフレーズには、KYOHSO依都ルート/レヴァフェ亜貴ルートの共通点が重なります。
ゲームのKYOHSO編は、10周年のアルバム制作〜ライブツアーを軸としてストーリーが展開し、依都ルートにおいては彼の声が出なくなってしまうアクシデントが山場となります。無事に歌えるようになった依都が、KYOHSOのメジャーデビュー10周年に向けて完成させた曲。それが「Roots of Life」です。
ルート分岐によっては依都さんが完全に声を失ってしまいバンドも存続できなくなりますが、一方で玲音にも声を失うエピソードが存在します。『だから声を失くしても叫び続ける』のフレーズを玲音が歌う意味、そう考えると重いんですよ。
KYOHSOとレヴァフェが「Roots of Life」をセッションし、篠宗と亜貴が並んでドラムを叩いている。この2バンドについて原作ゲームで最も対比を感じた部分は、ドラマーの死後、そのポジションを埋めたかどうかです。どちらが正解という訳ではなく。

●依都と玲音の関係性② バンドの辿る道
原作ゲーム版もアニメ版も、各バンドがこれから辿る道のその先にKYOHSOがいます。 apple-polisherは少し独自ルートを歩んでいると感じますが、[rêve parfait]とLiar-Sが経験している葛藤や課題点は、かつてKYOHSOも通った道です。バンドを売り出していく戦略への不満。他人から提供された曲を歌うかどうか。
特にレヴァフェは対比として描かれている部分が多く、例えばアニメ内でレヴァフェのメンバーは誰かのために何を置いても駆け出しますが、それはKYOHSOが過去に出来なかったことです。そして第4話で玲音の不調を聞きつけた依都と時明がわざわざ真夜中に訪ねてくるシーンは、彼らの亘に対する後悔から繋がっているようにも思います。
楽曲に関していえば、KYOHSOはYORITOが作詞することが多く、レヴァフェは全てKnightの作詞ですが、どちらも過去への後悔や哀しみが原動力となっています。そのうえでKYOHSOの楽曲は贖罪と共にあり、音楽を続けることで彼ら自身も救われながら、どこかにいる誰かの、たとえば難病の少女の心を救っている。一方でレヴァフェは内向きの歌詞が強く、レヴァフェを続けていくことが亜貴の自己救済にもなっている。優劣はなくそれぞれに魅力的です。

KYOHSOのゲーム版主人公(プレーヤー)は彼らのマネージャーを務めるポジションで、KYOHSO編をプレイしてみると、マネージャー側が如何にアーティストの売り出し方を考えているかがわかります。
アニメ第1話の中で、CM撮影に愚痴をこぼす玲音は『Kingはどういった指針をお持ちで?』と指摘されふくれ面になりますが、芸能界で生きていくためにビジュアル仕事があり、そこに対しただ文句をたれている段階です。
KYOHSOのゲームシナリオでは主人公の同僚として登場する五十嵐八雲の努力も垣間見えるので、原作のレヴァフェ編とKYOHSO編は相互補完の面もあると思います。


今回はKYOHSO編を中心にお話しました。
今度発売されるカバーアルバムのファン投票で「Roots of Life」のカバーを[rêve parfait]が担当することになったのは、明らかにアニメ第1話によるものだと思います。編曲は[rêve parfait]が担当するそうなので、どうなるか楽しみですね。
順番的に次回はLiar-S編、「村祭り」の真意についてお話する予定ですが、その前に自分とダイナミックコードの出会いから今までについてアップしたいと思っています。私は2018年1月の一挙放送で出会って、そこが5周年なので、12月末〜1月ごろに投稿予定です。またご覧いただけましたら幸いです。


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