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あなたの中の迷子に6

早々と太陽が落ちた冬の夕刻、寒さに震えながら平日には珍しく店に亮輔が顔を出した。
「もうすぐ閉店だけれど、何か食べる?」
「うん、お腹空いた」
熱いカフェ・オ・レとタルト・タタンの最後の一切れを出して、私は明日の用意をしながら片付けをする。
「今日はもう帰っていいわよ、もうお客様も来ないから」佳菜子の言葉に甘えて二人で店を出た。

一緒に車に乗り込むとぽつりと言った
「3月に転勤が決まったんだ。」
移動先は東海で一番の大都会、工場での現場経験を終えて次は営業を経験させるというのが会社側の意向なのだろう。
「栄転じゃないの、おめでとう」
そう言う私に少し声を荒げて言った。
「今までみたいに会えなくなるんだよ、それで平気なの?」
私は車を走らせながら答えた。
「最初からあなたがどこかに転勤するまでと思ってきたわ。その時がきたのよ。」
「一緒に来てくれないか」
ちょうど赤信号で停車すると彼に向き直った。
「私はあなたのお母さんより年上で、このままいつまでも続けるのは無理だって、わかっていたことでしょう。」
「嫌だ、今はまだ嫌だ」
後ろの車のクラクションが鳴って私は前を向いてアクセルを踏んだ。

部屋に入るなり灯りもつけずベッドに押し倒した。 部屋に満ちた冬の冷気も構わず、駄々をこねる子供のように若い力で私を責めたてる。
喜びと哀しみに溺れながら、どこか覚めた私がいた。 ずっと思っていたことを話さなければ。

罪悪感ではない、自分の中で積もっていく違和感と虚しさにもう目を背けてはいけない。 
最後に線香花火が赤々と光を放つような、この一瞬はやがて終わる。 同じように今日が終わって明日が来ても、これから夏へ向かう亮輔と、冬へと渡る私では時間の意味が違う。 これ以上ふたりで同じ時間を過ごせるわけが無かった。 
あるがままに、私は自分が老いていくことに向き合う時期に来ていた。

押し問答が続いたあと、私は自分の体を拭ってその指をかざした。
「これはあなたの命の片われなのに、もう片方の命に巡り会うこともなく私の中で消えて、その悲しみが積もっていくわ。
これからはあなたに似合う人と愛し合って欲しい。 それは私じゃない。」

背を向けた肩を私はそっと抱いた。





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