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私の中の迷子8

冷たく冷えたビールが沁みるより早く、胸に広がる不安が湯上がりの火照りを冷ましてしまった。
窓際の藤椅子に座りビールを一気に飲み干す圭一を見ながら、私は待っていた。
視線を感じているはずなのに、窓の外を見たまま沈黙が続く。 思い切ったようにこちらを見直して静かに告げた。
「癌なんだ…最初に話さなくてごめん…」
華奢に思えた体がここのところ少しずつ痩せてきていると気づいてはいた。
「この病気は治ったように体調が良くなる時期があるらしくて、君と会ったのはちょうどそんな時でね。 先月くらいから背中が痛み出して、やっぱり進み始めたみたいなんだ。」
そうか、そうなんだ。 頭の中で繰り返してみてもまだそれが現実とは受け止められなかった。
「君はこれからどうしたい?」
「何も変わらないわ、私達に選択肢は一つしかないんだもの」

いつかは終わると覚悟していた。 私が年をとって彼の前に立てないような姿になる前に、終わらせようと思っていた。
思いもしなかった結末に導かれようとしていても、今はこのまま一緒にいたい。
ただそれだけで私は大丈夫と

障子から漏れる灯りがぼんやりと部屋を照らしていた。
私を静かに深く貫く彼の全てが愛おしい。
お互いの体をむさぼるように愛しみ、深く哀しく私達は一つになった。

翌日は冬の雲が低く垂れ込める曇り空だった。
部屋に運ばれてきた朝食は、ご飯の炊き方から味噌汁、品数多く並んだお菜の全てに料理人の心意気が感じられ箸が進む。
「どんな時でもお腹は減るものね」
「生きてるって感じがするよね」
そう言って二人で笑った。

泣いても一生、笑うも一生、
ならば今生泣くまいぞ。

「夜もいいけど、昼の引き廻しもすごいんだよ。」まるで子供のように声がはしゃいでいる。
きっと何度も見てきただろうに、故郷の祭りは血肉にまで刷り込まれて湧き立たせるのだろう。
昨夜は細部まで見えなかった山車や笹鉾の絢爛豪華さには目を見張るばかりだが、それが動いて団子坂を駆け登る様子は、地元ならずとも観る者の血を騒がさずにはいられない。
思わず夢中になってホーリャーホイの掛け声に調子を合わせている私の横で圭一は笑っていた。
「おかしかった?」
「いや、可愛いな〜って思ったのさ」
「も〜、10歳も年上に言うことじゃないわよ」
そんな他愛も無いやりとりが嬉しい。
「来て良かった。ほんとに有難うございました」
私も笑いながら言った。

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