見出し画像

私の中の迷子12

どんなに泣いて悲しみに壊れてしまいそうな日が続いても、私は死ななかった。  
一日泣き続ければ、やがて空腹感に気がつく。
何かあるものでお腹を満たしてベットに潜り込むと、過ぎた日がもう取り戻せないことに押しつぶされそうになってもいつのまにか眠りに落ちた。 そしてカーテンの隙間からは光が差し込んで、
いつものように朝が来る。

ドアのインターホンが来客を知らせて、娘の姿がモニターに映っていた。
「お母さん、生きてる?」
ドアを開けるなり私の顔を見て言った。
「なんだか半分死んでるみたいな顔してるよ。」

しばらく圭一と暮らすことにした時、娘には二人のことを話した。  
小さな頃から両親の仲がおかしいと気づいていた娘は、大人の事情には敏感な子供だった。
大学を卒業して仕事が決まった時、「これでもうお母さんも離婚していいよ」と言って私を驚かせた。 娘が育つまでと思っていたわけではなかったが、いびつな夫婦でも家族としてはやっていけると思っていた。それが幻想だと知ったたのは、娘が一人暮らしを始め二人きりで同じ部屋で過ごす息苦しさに耐えきれないと気づいたからだった。 離婚を決めた時も、圭一とのことも「お母さんが決めたんだから」と言っただけだった。

「どこかに行こう、とにかく外に出よう。」
そう言って私を助手席に乗せた。
心と裏腹に外は秋晴れが広がり、黄金色に重く垂れ下がった稲穂の波が続いている。
そのまま外環道に入って2時間あまりで銚子岬に着いた。
母娘で通ってきた店ではそろそろ旬が始まるアンコウ鍋が体の芯を温めてくれた。
窓いっぱいにおだやかに広がる太平洋を見ながら、そういえばしばらくまともに食事をしていなかったと、それでも生きていられたと思った。

「お母さん、後悔してる?」
「ううん、」
「それなら、良かった」
それ以上言わなくても、娘の思いが沁みた。

心はまだ悲しみの底から這い上がれないまま、
私は圭一がくれた時計をはめた。

泣くも一生笑うも一生
ならば今生泣くまいぞ

龍馬の言葉が頭をよぎる。
私はもう森の中を彷徨ったりしない。
自動巻きのロレックスが私の左手首で時を刻み始めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?