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私の中の迷子5

そうね、お互いにそれなりの年だものねと頷く代わりにキスをして、一つだけのセミダブルベッドに体を寄せ合いそのまま眠りに落ちていった。

目が覚めると私を見て彼が言った。
「ホントに幸せそうに眠ってたよ」
そう、この上もなく幸せだった。 
独りぼっちで迷った森の中で、手をつないで一緒に歩いてくれる人に巡りあえたような
彼のかすかな匂いは干し草のように懐かしく温かい。 その中に潜り込んでいるうちに小さな火種が目を覚まして、今度は私が彼を求めた。 
動き始めた都会の中にポツンととり残された小さな部屋は、私達を包みこみ守ってくれている。 
全てが狂おしいほどに愛おしく、首も肩も胸も味わいつくした彼を私の中に迎い入れる喜びに我を忘れる。 2度3度と刹那を超えてあの草原に出た時には、心地よい疲労感に二人で倒れ込んでしまうほどだった。

外に出るとランチの準備が整った店のオープンテラスは早々と賑わっていた。 店の一番奥の席に案内されて、空腹感に気が付く。
「苦手なものはある?」メニューをみながら尋ねられて首を横にふった。
サラダとチーズプレートに今日のメインディッシュ、この店人気のバゲッドとグラスワインを注文して彼は言った。
「これは僕が払うからね。」
さっき部屋を出るときバッグから財布を出そうとして断わられたことを思い出し、ちょっと苦笑いする。
「お金持ちなのね」
「そうじゃないけど、もう僕には必要ないんだ」
黒いエプロンのギャルソンがテーブルに置いたバゲットで早速ワインを飲みながら圭一は話しはじめた。

若いころはホストクラブでトップを続けていたこと。 ヘルプに甘んじているようにみえて厳しく接した後輩が店を辞めて田舎へ帰った時、今まで自分が目を背けてきたことに気付いたこと。
「結局あいつは優しくて、自分に嘘をつけなかっただけなんだ。ああいう世界はホストも客もお金で割り切らなきゃ成り立たない嘘の世界だからね。」
割り切ろうとしていた気持ちと、ちょうど20代も終わりにホストとしての人気も既に限界にきていることを感じた彼は、ヘルプのまま次の仕事の目途もたたないホスト達を集めて今の仕事を始めたのだった。

「一晩話相手になってほしい人や、亡くなったお孫さんの代わりに一緒にディズニーランドに行ってほしいという女性もいる。ばかみたいにお金を使わなくても、たとえその時だけの慰めだとしても、僕らができるサービスに対価をもらうことにみんな生きがいを感じているんだ。」
そしてまっすぐに私を見てこういった。
「一番年長の人をって依頼が君から来た時、もう現場をやっていなかった。
だけど、僕だなと思ったんだよ」
「ありがとう、あなたで良かった」彼の目をみながら私は答えた。

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