見出し画像

私が中の迷子9

時間はゆっくり、確実に過ぎていく。
少しづつ変わっていく圭一を丸ごと受け入れると覚悟していたはずなのに、会うたびどこかに兆しが始まっていないかと無意識に探してしまう。
それは誰のための恐れなのか、ただ失いたくないというエゴだけではないのか、その苦しさに押しつぶされそうになっても逢いたい思いは真実だと思いたかった。
いつものレストランで食事をしながら二人の日常の話で他愛もなく笑う時間。
いつものホテルで残された時間を惜しむように求め合い慈しみあう時間。
二人にとってかけがえのない時は少しずつ終わろうとしていた。

「東京タワーに行ってみないか?」
そういえば最後に登ったのはいつだったか
日比谷線神谷町の階段を登って地上に出れば、いきなり東京タワーが視界に現れる。
それを目指して真下にたどり着けば、四本の足を広げ空を切り裂くようにそびえる姿は圧倒的に美しい。見上げる高さを一気にエレベーターで昇ると、夕闇の中で東京の街が眼下に広がった。
早々と明かりを灯し始めた街はまるで銀河のように輝き、その間を縫うように金と赤の車のライトが走る。
その一つ一つは間違いなく命の証で、なんと多くの命が蠢いているのかと言葉もなく見入ってしまった。
「スカイツリーもいいけど、僕にとって東京タワーは特別なんだ。 初めて東京に出た時から何かあるたびにここに登ってきたんだよ。
少しづつ変わっていく東京の街を眺めてると、自分の悩みも迷いも大したことじゃないと思えてくる。 今まだ僕には時間がある。 失う時間より残っている時間を大事にしたいって思った。
君と会えて…有難う。」
「私も あなたと会えて、有難う」
もう涙はなかった。

地上に降りると夜はすでに始まって、空腹感が生きていることを感じさせた。
落ち着いた個室のある店は、豆腐をメインにした和食に日本酒を楽しみながら、庭越しに東京タワーが見える。
出された料理を少しずつ残していても、グラスの冷酒がいつまでも空かなくても、それでも一緒にこの時間を楽しめることで充分幸せだった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?