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薪割りを木工的視点で考える

 ここ飛騨地方でも気候変動の影響からか、近年めっきり雪の量が減りました。それでも冬場はマイナス十度を下回る日も少なくなくありません。そんな雪国の飛騨は林業や木工が盛んな地域ということもあり、燃料の入手が比較的容易なことから職場でも家庭でも、薪ストーブの普及率が高いのです。
 薪ストーブを焚くには当然燃料となる薪が必要です。薪はカーボンニュートラル燃料ですから大きな顔をして燃やせる訳ですが、実際問題一冬分ともなると、これがなかなかの量で置き場所問題やらカメムシうじゃうじゃ問題やら問題も付きまとう訳です。
 ちなみに我が家で一冬分は大体5㎥くらいです。昼間は無人なので夜だけ焚いてこの量なので、昼間もともなればこの倍では足りないくらいの勘定です。
 それで今年は訳あって、5㎥全てを斧で薪割りするハメになりました。それまでは割って乾燥までされたものを調達したり、職場で出る端材をちょろまかしたりしていたのですが、諸々の事情により玉切り(丸太を30センチくらいにブツ切りにした状態)されたものを割って積んで干して乾燥させなければならなくなったのです。
 過去にそういう作業をやったことが無いわけではないのですが、あるまとまった量を決められた時間内に、求められる品質で、なおかつ安全にこなすという、職人的意識でもって向かうのは初めてでした。自分ちの薪なんだから、決められた時間なんか無いだろうと思われるかもしれませんが、春先の乾燥した空気があるうちに割って晒しておかないと、いよいよ寒くなってきたときに乾燥不良でまともに燃えず、あわてて灯油を買いに行く羽目になります。それ以前に、生木は文字通り生ものですから放っておけばカビも生えるし、蟲の温床となって腐海の如くおぞましい様相を呈することになってしまうので、限られた時間のなかでさっさと割ってしまわなければなりません。
 そして薪を割るには斧が必要です。一口に斧といっても様々な種類があり、私は斧や鉞の専門家ではないのでいい加減なことを言うかもしれませんが、恐らく大別して、

・刃が付いていて、枝打ちや伝統工具を重んじている宮大工、ログビルダーが使う切断および「はつり」に用いられるもの
・刃が付いている必要は必ずしもなく、断面がくさび形状で薪割りなどの割裂が目的のもの
・火事場や戦闘で使用される、人道的破壊と非人道的殺戮に使用されるもの

戦闘用はともかくとして、薪割用斧は枝打ち用斧とは違い、横切り切断ではなく縦割り割裂が目的な訳ですから、形状も重量もおのずと全く違ってくる訳です。
 そして薪を作るという伐採から運搬に始まる一連の工程の中で、唯一人力で立ち向かうことがぎりぎり娯楽として成り立つのが薪割りという作業です。
 薪割りというのは、たまにやる分にはなかなか楽しい作業です。その面白さを説明するのは難しいのですが、あえて例えるならば、バッティングセンターとかゴルフの打ちっぱなしに近いものがあります。もっと言えば、真剣での青竹斬りにも似たものがあるかもしれませんが、そこまで精神性を求めるものでもありません。
 斧で狙ったところに会心の一撃を加え、尺はあろうかという玉切り材が一刀両断されたときの爽快感はなかなかのものです。それに比べると、丸太の玉切りなどは、専用の道具を使ったとしてもどちらかというと筋トレ系になるので、まあチェンソーでやるかという話になりますし、薪割機という油圧のエンジン工具も娯楽というよりは作業という名目に近づきます。もっとも、斧での薪割りだってかなりの重労働には違いなく、本業の木こりですら面倒くさいから薪は買っている!なんて笑い話も聞くくらいですが。
 チェンソーの話が出ましたが、この動力が2ストロークエンジンの工具はまさしく「手の延長」です。私は基本的に手工具でも電動工具でも、刃物が手の動きに直結していて自在に動かせる工具は「手の延長」として捉え、いわゆる「機械」とは本質的に異なるものだという考えです。具体的には、ドライバードリル、丸鋸、ダブルアクションサンダーなどは手の延長であり、さらに言えばそれらの先についている刃物が、自分自身で切れ味の管理や研磨を行う必要がある工具は必然的に「属人具」であることが求められます。
 属人具とは、考古学者の佐原真氏が考案した言葉ですが、特定の人が使うことが決まっている道具のことです。大工や私のような木工に携わる者であれば、少なくとも鑿や鉋などの手工具は自前で揃えるのが当然ですし、料理人や理容師だって自前の包丁や鋏を持っています。もちろん自営でやるとなれば自前なのは当然の成り行きとして、組織の一員であってもそれは変わらない事実です。実際私が木工を始めたときも、最初は最低限10万20万かかるから覚悟しておけ、と、当然のように言われましたし、自分自身もそれが当たり前のことだと思っていました。
 ところで、何故自前、属人具でなければならないのか、ということですが、答えは単純明快。そうした方がパフォーマンスを上げる余地が増えるからです。言い方を変えれば、より良い仕事ができる可能性が広がるとも言えます。最近は「属人化を防ごう」という趣旨のコピーをみかけることもありますが、間違っても高度な仕事まで全部みんなが出来るようにするのだ、なんて事は幻想ですので、それで良いのです。
 逆に言えば、テキトーにやっときゃいいやという人が自前の道具を持っていても、あまり意味はありません。
「あの鍛冶屋が打った鉋ならば、もっと材料に艶が出るんじゃないか」
とか、
「この刃物の切れはこんなもんじゃないハズだ」
といって、良い道具を求めるのであるし、研ぎに明け暮れるのですから。
 つまり、このような試行錯誤を共用の道具でやれというのは、土台無理な話なのです。大体そうやって手間暇かけて仕上げた道具を、自分より上手な人に使ってもらうのならいざ知らず、下手糞の、何を握っていたのやら分からないような手で触られたら普通は嫌でしょう、絶対!
 話を属人具のチェンソーに戻すと、恐らく一般的に思われているチェンソーの荒っぽいイメージと、高度な技能に裏打ちされたチェンソーのパフォーマンスには結構な隔たりがあると思います。私が過去に見た超絶技巧チェンソーの技、これはまた別の機会に詳しく書こうと思いますが、今回はそれより全然地味だけれど非常に大切な一例を書いてゆこうと思います。

 私の友人に木こりを生業としている者・・・ここでは仮に「諌山(いさやま)」と呼びましょう・・・がいるのですが、今年はこの男から薪としてコナラの玉切りを1トンほど入手することになりました。
 冒頭に書いたように、それを割って積んで干さなければならないのですが、あるまとまった量を斧で割る作業は初めてだったので、手工具好きの私としては非常に興味深い時間を過ごすことができました。
 まずは道具です。道具が無ければ始まりません。
 手元にあるのは土佐型の鉞(まさかり)しかありません。鉞は、「はつる」ことを目的として作られており、薪割用ではないのでそれ用の斧を探すところから始まりました。探すといっても使ったことのない道具の判断基準が自分には無いので、とりあえずお世話になっているストーブ屋さんに相談しに行くことにしました。店の主は快く迎えてくれ、薪割イベントで使用している各種斧を全て並べて試し割りをさせてもらえました。店主は次々に玉切り材を薪割り台の上に据え置き、慣れない斧で割ってゆきます。そうするうちに、斧の重量やバランスによる違い、微妙な柄の長さによる違いなどがおぼろげながら分かってきました。何しろ店主はわんこ蕎麦のように「次!、次!」と割るように指示してくるので、許してもらえるまでにはヘトヘト、もしかしたら俺は単にいいように労働をさせられているだけなのではないかという疑念も持ちましたが、きっと限界までやらないと分からないこともあるのだろうと自分に言い聞かせた上で、斧の選択をしました。私はどちらかと言うと細見な方なので、イキがって漫画「ベルセルク」の主人公が武器として愛用している剣のような重厚長大系よりも、身の丈をわきまえたものを選びました。この年齢になって、イキがることを遂にあきらめた、と言うか、あんまり意味のないことだということを、やっとこさ理解した次第です。
 ですが、メーカーを選択する上で決定打となったのは、それを製造しているスウェーデンの鍛冶屋の面々が勢ぞろいしている写真の中央に、ありえない太さの前腕を誇示している、まさに「北斗の拳」にそのまま登場していそうな、北欧の狂暴な大男の存在感でした。その前腕といったら、私のフトモモなんかよりもはるかに太く肉厚で、仮にケンカをしたとして、体のどっかを握られたら最後、それは確実に死を意味するような衝撃的な写真でした。    私も鍛冶屋のマネごとを経験したことがあるのですが、その赤く焼けた鉄を成形するための槌は非常に重く、十数回振り下ろすだけで腕が言うことを聞かなくなるような作業を一日中、一年中やり続ける肉体に畏怖の念を抱きました。私は以前フリークライミングをやっていたのですが、その時のチームのリーダーだった人物が別冊アイアンマン「握力王」という本を愛読していて、「握力は武器になる」と常々言っていたのを思い出しました。
 そういう訳で、かなり高価な部類に入ると思われるスウェーデン製の「最初の一本はコレ!」という触れ込みの斧を入手したのです。最終的に背中を押したのは件の大男の存在ですが、鋼材が「斧用スウェーデン鋼」というのも、その字ヅラからしてかなり魅力的で、ついついそちらに心が傾いてしまったこともあります。
 スウェーデン鋼は炭素鋼ですが、私の所有している鉋の中で、「も作」という鍛冶屋の「神」という鉋にも使われており、非常に感触がよいという経験もあります。しかし薪割斧にそこまで鋼材にこだわる必要があるのかという疑問は当然のようにあるかと思います。
 しかし、私は鋼の塊が大好きなのです。
「おおお、これが斧用スウェーデン鋼かううむ」
と、千八百グラムある鋼のカタマリを眺め、観察し、研いでみるだけでもう十分なのです。
 そのうちグラインダーで成形された荒っぽい部分を鏡面、いや、薄曇りに研いでやろうかと思っています。買った当日はフトンに持って入ろうかとも思いましたが、子どもに父ちゃんはヘンタイだと思われても困るので、止めておきました。

とは言え、実際に薪を割ってみないことには本末転倒なので、早速諌山の土場に行って割ってみることにしました。
「クピッ、クピッ」
なんだこりゃ。
「クピッ、クピッ」
「クピッ、クピッ」
 慣れてくると、あまりにもあっけなく割れる様を見るにつけ、はつり用の鉞とは全くの別物であるという事が確認できました。当たり前です。用途が違うのですから。そのうち、わざと力を抜いて首の皮一枚つなげておき、二投目で目的の大きさに割ってはじき出す技を編み出しました。だって、最初からフルパワーで割ると、割った薪がすっ飛んで行って拾いに行くのに往生するじゃないですか。
 そして、初めて分かったことを、まずひとつ。

 薪があっけなく割れる理由の一つとして、道具もそうなのですが、諌山がチェンソーで玉切りした断面のキレが素晴らしく、しっかりと平面が出ており、しかも矩(直角)がきていて、薪割台に置いたときに何のストレスもなくスッと直立して置けること。一つの例外もなく。台と材の木口が平面同士で接地しているので、斧を振り下ろすエネルギーがほとんど逃げず、非常に効率が良い。
 これが切れないチェンソーで上から下から切ってあって段差があったり、でこぼこで残念な代物だと、ぐらぐらして台の上に直立させるだけで一苦労。そんな状態のブツを斧で割ろうとしても、台との接地面が点でしか当たっていなかったり、ナナメッていたりして力が逃げてしまい、思うように割れないのです。
 このことは、単にチェンソーのうまい下手の違いと言ってしまえばそれまでなのですが、さらに言及するならば、モノづくりにおいて非常に重要な「次の工程の人に迷惑をかけてはいけない、気持ちよく仕事をしてもらう」という精神が宿っているか、いないかの違いです。自分の仕事にプライドを持っているか、いないかの違いとも言えます。だって、単にチェンソーの刃を切らせて早く仕事を片付けることだけが目的であるならば、曲がっている丸太の木口をわざわざ矩に切りそろえる必要は無いのですから。
 そして、このことは薪割機ではなく、斧で苦労して割らなければ気が付かなかったことです。諌山は私が斧で割ることを知っていたので、特別そういう仕様に仕上げていたとも考えられます。
 言い方は悪いですが、所詮薪なんて燃やしてしまえば灰になるだけのものです。しかし、こだわった仕事の後工程を担う気持ちのよさというものは、まともな職人であれば絶対に解りあえる、非常に価値のあるものですよね。  ただ、そういう仕事って地味なんです。本当に地味なので、メディア取材とかで「スゴイところを見せてください!」とか言われても困るんですよね。分かりやすいものを求められるので。でも、本当の職人の技なんて、真に地味なものの集大成なんだと思っています。

 

枝分かれしているナラ材を芯と平行に割った断面。赤線が芯で黒線が10年目の年輪(導管)のライン。股の部分は恐ろしく固そうで、理屈通り割れるわけがない。こんな薪にするような材も数えてみれば樹齢85年ほどであり、戦前生まれであることが分かる。

 二つ目は、斧を振り下ろしたときに、まれに起こる意外な現象です。
 クピクピあっけなく割れると、そのうち節入りのいかにも手強そうなブツに挑戦したくなります。諌山は、節を手前に持ってきて、節を縦に二等分するように割るとよいとアドバイスをくれました。なるほど、それは全く理にかなった割り方で、節があっても一応繊維に沿った割り方になるのです。木に関わる仕事をしている皆様は、枝の中心を縦に割った方向での幹の断面を描けますか?年輪(導管)を表す線は閉じた円にはならず、開いた曲線になります。ということは、繊維を横に分断しない方向で割れるということです。実際節はとても固く、複数枝分かれしていたりすると、そんな理屈通りに割れるものではなく、噛んでも噛んでも噛み切れないホルモンのように最後はあきらめて飲み込む、いや、帯鋸で割るしかないのですが、それら理屈を無視するよりははるかに効率よく割ることが出来ます。
 それで、薪割り斧は刃が付いていないとはいえ、枝分かれしていてなかなか割れない材でも多少は刃が食い込んで挟まるものです。当たり前ですが。
ところが、そんなに大きな節が無いような材なのに、まれにフルパワーで振り下ろした斧が、はじき返されて刺さりもしないことがあるのです。「バイーン」って感じではじき返される。一体何なんだと思って材を観察すると、繊維が微妙に弧を描いていたり、クルマで言うダブルレーンチェンジの軌跡のような杢目の流れ方をしているようにも見えます。
 おそらく、材が強力な圧縮バネのようになっており、斧の刃をはじき返してしまうのでしょう。素材は何でも多かれ少なかれバネの性質を持っているとは思いますが、それにしても直径二、三十センチ、長さ三十センチそこそこの塊のような材が、人力で実感できるほどバネ感があるのは驚きです。でも、考えてみれば樹は常に風などの影響を受けながら育っていて、しなれば長さ方向に圧縮される力を受けているわけですから、杢目直通だとしても、バネになっていることは何ら不思議なことではないのです。斜面に生えている樹ならば、なおのことでしょう。
 それを踏まえて、縦方向に強い衝撃を加える木のモノって何があるでしょうか。

・鐘を打つための撞木
・ビリヤードのキューとシャフト
・鑿の柄
・木槌、杵
・縦揺れ地震時の木造建築物

 他にもあれば教えてほしいのですが、これらは木の持つ縦方向のバネを上手く利用している可能性があります。もっとも、カーボン製の杵とか作ろうと思っても、誰も賛同してくれないでしょうから、そういう意味で木を使っているという側面もあるのでしょうけど。

 さて、そろそろ結論です。
 薪割りという手作業ひとつとってみても、これだけのフィードバックがあるわけです。書ききれなかったこともまだまだたくさんあります。仮に、これらを薪割機で全てをこなしたならば、薪割機でしか分からないことももちろんあるのでしょうが、木はバネであるということなど絶対に気が付かなかったでしょう。
 また、手工具を使うということは、その前の工程からして丁寧さを要求します。前工程が丁寧に仕上げられていないと、ただの重労働に終わる可能性が増大するからです。結果としてよいモノができるか否かは手段によるものではありませんが、丁寧な仕事の中には手加工を使うことでしか培われない要素が多分に含まれていることもまた事実なのです。
手加工は目的ではありません。あくまでも手段でなければならないと思います。
 人は何故、手加工に引き寄せられるのか。
 私は素材に対する探究心、人に対する好奇心であると考えています。


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