山に行くor行かない

待ち望んだ休みだった。
起床時間は4時。山に行こうと思っていた。
しかし、起床時、天気予報を確認すると、あまり芳しくない。
登山口まで片道二時間半かかるところに行こうと思っていた。天気が良ければ水面に青空が映る幻想的な場所だ。
……二時間半かけていって、登って曇天だったらちょっとな……
というわけで、今日は寝ることに決めた。追い打ちのように4時半に目覚ましが鳴った。うるさい。
次に起きたのは6時だ。

「青空じゃん……」

よくあることである。
だが、どうせこの後天気が微妙になるのは分かり切っている。外には出たいので、脳内でお手軽に歩ける山を検索する。(田舎なのでハイキングに適した山がいくつかある)
せっかくなので、父と一緒に行ってきた。
帰りはジビエ料理に舌鼓を打ち、流行りの静かな山のカフェでコーヒーを頂く。

そして家に帰ってきて落ち込んだ。

せっかく届いたスマホのガラスフィルムが上手く張れなかったとか、楽しみにしていたゆるキャン△の3期が気が付いたら最終回だったとか、キッチン回りがごちゃついているとか、そういうのが追い打ちをかけてくる。
悶々としてしまう。
昨日からずっと私の心にあるのは、「私は本当に山が好きなのだろうか?」という気持ちだ。
緑の葉が作る、木陰の中を歩くのが好きだ。
見つける山の植物は楚々としているのに力強いところが好きだ。
山の中で見かける小川や滝の水音は清涼だし、道案内をしてくれるように飛ぶ蝶々は可愛らしい。
森を抜けて一気に視界が開ける時は疲れが一気に吹っ飛ぶし、尾根歩きは大好きだ。
雄大な景色を写真におさめて、家で確認した時に綺麗に撮れていたら人に見せて回る。(超迷惑)
何なら初めて白山に行った時の写真を見てほしいくらいだ。超お花畑、ここが天上の楽園かと思った。感動しすぎてフォトブック作った。紅葉の立山も最高。錦の絨毯とはあれを言うのではないだろうか?

でも、そこに至るまでの道が辛い。尋常じゃなく辛い。
まず私はドライブが嫌いである。
これは私が車酔いしやすい体質だということと、母の運転が昭和の車方式だからだ。母の運転は、何故か小刻みにアクセルを放し、車に緩急をつけ、ブレーキはきちんと踏み切らないからクリープ現象を起こす。結果、車ががくんがくん揺れるため、私は母の車の運転では5分で酔う。車や乗り物に対しての苦手意識が強い。
山に行くとなると、登山口まで結構な距離を運転しないといけない。片道一時間程度で行ける地元の百名山はかわいい方である。
行きはいい。帰りは空腹と眠気と尿意と戦いながら道の駅とコンビニを探してまわらないといけない。
これが二時間を超えるとちょっと嫌になる。今日、山に行くのを諦めた理由だ。
道中にちょっと楽しみになるような飲食店があればいいのだが、実際その近くを通ると人見知りとめんどくさがりが発動してスルーすることがある。あと、17時を過ぎると道の駅は売店が閉まる。

山登りにおいて、私は急登と階段が苦手である。
延々と続く階段は20段も上がらないうちに息がきれる。登りが苦手で遅いため、同行者に申し訳ない気持ちで一杯になる。尾根歩きぐらいまでいけば元気に歩けるのだが……
たぶん体重が重いせいで体が上にあがっていかないのだろう。あと2㎏でいいから落としたい。

母には気にしすぎと言われているが、肺の病気をしたことも後ろ向きになった理由の一つだ。
天気が崩れる時、平日の15時を過ぎた時、夜寝られない時。
胸の中央から喉にかけてチリチリと痛む。両肺の、おそらく傷がある場所がしみる時もある。
こちらについては、母にも主治医にも「気のせい」「天気ばかりは制御できない」と言われてしまうので、仕方ないかと諦めているところがある。

「なんて綺麗な景色なんだ」
「なんてかわいい花なんだ」
「行きたい、絶対に行って実物を見てきてやる」
そういった気持ちが、ちょっと薄れてしまっている。
朝起きるのが辛い。
荷物を準備するのが辛い。
しょって上にあがるのが辛い。
周りの登山客の邪魔をするんじゃないだろうか?
私は変な行動をしていないだろうか?
たくさんの「辛い」「怖い」が積み重なってしまう。(ここで熊怖いとならないところが私の頭のおかしいところだと思う)
こういう時は無理してでも行ってみればいいのか。
それとも諦めて布団と仲良くして体力をつければいいのか。
難しいところである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?