物では結局、心は埋められない。経験で埋めていこう。

物を持つことは、自分を作ること。
私は、物を持つことで、どうしようもない心の空白を埋めていたように思う。
私の家は家庭内に問題があったわけではない。
ちょっと情が深すぎる母と、あまり語らない父。
食べるのにも勉強にも困ったわけではない。
ただ問題があったとしたら、母が忙しすぎて、ちょっと私のいい加減さの矯正をほったらかしたくらいだろう。
20歳過ぎれば自己責任だとは思っているが、生活を整えることとかは私が嫌がっても徹底的に躾けてほしかったなぁと思っている。躾は将来の子供のために施す愛情なのかもしれない。
心の空白を埋めるものが「推し」なのだろう。これがアニメに走ればオタクだし、アイドルに走れば追っかけだ。ジャンルが決まっていればコレクター、そして恋愛になれば、代えがたい伴侶を得るのだろう。

私はオタクになった。
本格化したのは某国擬人化漫画がアニメ化してから。財力をもつとオタクは推しジャンルの繁栄を願って大枚をはたく。
私は収集癖があるのを自覚していたため、集めるものに制限をかけた。
「書き下ろしイラストのあるもの」や「図録」、「画集」などを中心に集めた。
持ったら、見返すことなく満足した。
先日トレーディングカード(箱買い未開封)とそれを収めるファイル(未開封)が出てきた。
当時の私はそうとうに心の空白を抱えていたのだろう。
絵を描いても小説を書いても評価されない。
人見知りでコミュニティに所属できない。
Pixivをやっていた時期もあるが、あそこもSNSみたいなものだ。
誰も認めてくれない。
お金を払って、持つことで満たされていた。

今は諦めた。
友達を増やすこと。
撮った写真を誰かに認めてもらうこと。
仕事の成果を認めてもらうこと。
「ニンゲン」であることを諦めたら楽になった。
そばに物がなくても不安定にならないと知った。
好きなことをしようと思った。
好きな写真を撮る。
登りたいと思った山に登る。
ファッションは興味ないから適度に小綺麗に。
まだ少し辛いときもあるけど、もうコレクションに囲まれなくても大丈夫。
そう思って、傍にいてくれた物をちを手放すことにした。

なお、手つかずのトレーディングカードはまとめて5000円で売り出したら一晩で売れました。







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