私に未来をくれたもの
ギリギリ昭和。
父、母、二人の兄、父方の祖母のいる家に生まれ、末っ子としてぬくぬく育った。
得意不得意はありつつもこれと言って抜きん出たものはなく、どこにでもいるフツーの小学生のつもりだった。
それが小学5年生の時、
子どもながらも人生が変わったような気がした。
理由は、いじめ。
可愛くて明るくて誰とでも仲良くなるタイプの、A。
Aと一緒にいるようになってからのこと。
何が理由だったのかはわかるような、わからないような、なんとも言えない。
一緒にいると、言うことを聞かなきゃいけないような流れになってくる。
好きな芸能人の載っている雑誌のページをハサミでボロボロにされ、次は服を切ってやろうか?と言われたり
図工の時間に一生懸命彫った木版画の上で手首を抑えられて、手の指と指の間をすばやく彫刻刀で刺す危ないゲームをやられたあげく作品を削られたり
筆箱の中身を教室中にばら撒かれたり
大嫌いなカリカリ梅を無理矢理食べろと口に突っ込まれて顎を抑えられたり
色んなことがあった。
いじめは、学校でよくやる子どもが記入するタイプのいじめアンケートで
誰かが私の名前、そしてどんな状態かと問われた欄に「雑用」と書いたことで口コミが広がったらしい。
そこからは、まるで将棋崩し。
とある女の子のが先生の根回しで私の側にいてくれるようになったり、いじめてきた子と一緒にいた二人が「私もいじめられるのがこわかったから」と謝ってきたり、先生や親と話をしたり。
Aとは小学校6年間一緒だったけど、中学校にいじめの事実が引き継がれてからはクラスが端と端に別れた。
その後わかったことだけど、Aは家庭環境が複雑でストレスを抱えていたそう。中学校に入ってからは不登校がち、髪は常に染めていた。
卒業アルバムに写真は載っていたけれど、ほぼ関わる機会もないまま、私は中学校を卒業した。
それまで自分が何かおかしいと思ったことはそれほどなかった気がするけど、いじめを受けた頃から自分のメンタルに闇を感じるようになっていた。
そしてアラフォーの今。
いまだにずっと、メンタルに闇を抱えて生きている気がする。
いじめは終わった。
だけど根本的な心の闇がなくならない。
新しい紙をクシャクシャに丸めて、広げて必死に形を整えても完全には戻らないのと同じだと思う。
とにかく自信がない。
人と自分を比べてしまう。価値がないと思う。
表面上は笑っていても、すぐに心が折れる。
自分がつまらない奴だと思い詰め、友達との関係もこじれることが多くなった。
こんな自分ならいなくても変わらない。
そんな自分に明るい未来なんてこないんだろうなと思ってた。
そんなモヤモヤした気持ちを吐き出す場所はどこか?
それが、ブログだった。
高校生で携帯電話を持たせてもらって、気が向いたから始めたブログが自分の中で大事なものになった。私のことを知らない人に対して文章を公開して書くのが好きだった。その方が素直にいられる気がした。そうやって、自分のメンタルを整えようとしていた。
そこでコメントをくれた歳上の女の人とメル友になって人生相談したりもして、嬉しかった。人生捨てたもんじゃないなと思った。
メンタルの闇がずっと晴れないまま大人になり、自分の不安定さにふりまわされ転職を繰り返し、環境を変えては失敗し、また転職。そんな自分に嫌気がさしているのになかなか改善できない。
だけどその中で嬉しいこともあった。
ハローワークで文章を書くのがうまいと職員のおじさんが志望理由の内容を褒めてくれた。
誰にでも言ってるかもしれないし自分だけの才能というわけではないとわかってるけど、
媒体を変えながら続けてきた「文章」を褒められたのが嬉しかった。
そういう、ブログを書くという小さな積み重ねが、いじめを受けていた日から、自分を少し丈夫にしてくれたように思う。
そして、今。
パートナーに恵まれて
子ども二人に恵まれて生きている。
そのことを、ブログに書いている。
これは、私が想像していなかった未来。
つらくても、どんな人と出会うか
メンタルを整える方法と出会うか
どんな経験やきっかけがあるかで人生はいい方向へと動き出す。
それを信じて、また明日一日だけでも生きてみる。
気持ちをブログにぶつけてみる。
それを繰り返してみる。
これからも壁にぶつかるだろうし未来が見えなくなることがあるかもしれない。
だけど、
いい未来を想像してまた一日生きてみようと思う。
私に未来を示してくれるものを大事にしながら。